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レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

Leonardo da Vinci
13 作品

1452年、フィレンツェ近郊の小さな町ヴィンチに、公証人の父と農家の娘のあいだの非嫡出子として生まれた。学校教育をほとんど受けなかったぶん、既存の権威を鵜呑みにせず、自分の目で見て確かめる癖が骨の髄まで染みついた人だった。ノートには絵と文字が渦を巻くように並び、鳥の飛び方、水の渦、胎児の姿、大砲の設計までが同じページに同居している。

十代でフィレンツェのアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に入り、絵画だけでなく彫刻や機械技術も含めた総合的な訓練を受けた。師のキリストの洗礼の一部の天使を描いたという逸話は、若き弟子の腕がすでに師を凌いでいたことを物語る。工房を離れてからは、ミラノの宮廷に技師・画家として仕え、岩窟の聖母や最後の晩餐を手がけた。とりわけ最後の晩餐は、裏切りの言葉が投げかけられた瞬間、十二人の弟子たちの驚愕や動揺が一人ひとり違う表情と身振りで波紋のように広がっていく構図で、絵画に心理劇という新しい次元を持ち込んだ。

フィレンツェに戻って描いたモナ・リザは、輪郭線を煙のようにぼかす スフマート技法によって、微笑みとも憂いともつかない曖昧な表情を実現した。厳密な遠近法と誇張のない自然な光の扱いは、この時代の絵画の基準そのものを塗り替えている。同時代人であり終生のライバルでもあったミケランジェロとはフィレンツェの壁画対決で火花を散らし、後にはラファエロら次世代の画家たちが二人の様式を吸収していった。

しかし絵筆を握る時間よりも、解剖、水流、飛行、都市計画、武器の設計に没頭している時間のほうが長かったのかもしれない。遺体解剖に立ち会い、筋肉と骨格を克明にスケッチし、ヘリコプターの原型のような機械や理想都市の図面を描いた。完成させた絵画作品は現存するもので二十点に満たないが、その一枚一枚が、観察という行為をどこまでも突き詰めた末に生まれたものだった。最晩年はフランス王フランソワ一世に招かれ、アンボワーズ近郊のクロ・リュセ城で過ごし、1519年にその地で没した。

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