
狩野正信
狩野正信は、将軍の住まいを飾る障子絵から仏画、肖像まで手がけた室町幕府の御用絵師である。中国風の水墨画とやまと絵をともに描き、室町時代から明治まで約400年続いた狩野派の祖とされる。位牌に金泥で文字を入れる仕事も引き受けた。
永享6年(1434年)に生まれ、享禄3年(1530年)に数え年97歳で没したとされる。出自ははっきりしない。江戸時代の家譜では、駿河の今川氏に仕えた狩野景信を父とするが、信頼できる資料に景信の名は見当たらない。近年は上総(いまの千葉県)の出身とする説が有力である。
記録に初めて名が現れるのは、寛正4年(1463年)である。京都の相国寺雲頂院で十六羅漢を描いたことが、相国寺の僧・季瓊真蘂の記録「蔭凉軒日録」に残る。正信自身は法華宗の信者だったが、禅寺の仕事も受け、禅寺と縁の深い水墨画の画法を身につけていた。
幕府の御用絵師・小栗宗湛の跡を継いだと推定され、将軍足利義政に重用された。文明15年(1483年)には、義政が造営した東山山荘の常御所の障子に「瀟湘八景図」と「耕作図」を描いた。東求堂にも「十僧図」(1485年)や「涅槃図」(1487年)を描いている。
肖像画では義政や将軍足利義尚を描き、明応5年(1496年)には日野富子の肖像を手がけた。当時の記録には、肖像画や仏画など、やまと絵系の題材が多く残る。
これほど多くの仕事が記録に残る一方、確実に正信の作と分かる遺品は少ない。やまと絵の技法で描いた地蔵院の騎馬武者像足利義尚像だけを、確実な遺品とする見方もある。現存する作品の多くは中国風の水墨画で、その画風も一様ではない。
代表作の周茂叔愛蓮図は、中国の儒学者が蓮を愛した故事を描いた作品である。題材を平明に分かりやすく描いた点が、それまでの室町水墨画とは異なり、後の狩野派の方向を定めた作と見なされている。九州国立博物館の山水図(双幅)のほか、景徐周麟が賛を書いた「布袋図」、栃木県足利市の長林寺に伝わる「観瀑図」も知られる。これらの水墨画には、足利将軍家が集めた中国絵画、とりわけ南宋の画家・馬遠に学んだ跡がある。
中国風の絵とやまと絵を描き、仏画から肖像画まで注文に応じた仕事が、狩野派の基礎となった。長男の狩野元信の代に、画派は大きく発展する。
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