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ヨハネス・イッテン

Johannes Itten
9 作品

スイスのベルン州ズューデレンリンデンに生まれ、はじめは小学校の教師だった。1904年から1906年にベルン近郊ホーフヴィルの教員養成課程で学び、1908年から1909年まで小学校で教えている。ジュネーヴの美術学校を経て、1912年までベルン大学で自然科学と数学を修め、中等教員の資格を得た。続く2年間はシュトゥットガルトの美術アカデミーで、アドルフ・ヘルツェルの門下に入った。1916年、ヘルヴァルト・ヴァルデンがベルリンの画廊「デア・シュトゥルム」で初めての個展を開き、同じ年にウィーンへ移って私塾を開いている。

1919年10月、ヴァルター・グロピウスに招かれ、ワイマールの国立バウハウスで最初のマイスターの一人となった。新入生が最初の学期に受ける予備課程(フォアクルス)を独自に組み立てて受け持ち、陶芸・製本・印刷を除く工房では形のマイスターも務めた。宗教と哲学をまたぐ思想運動マズダズナンを校内に広めたことでも知られる。グロピウスとの対立の末、1923年3月にバウハウスを去った。

1926年、ベルリンに自分の美術学校を開いた。1933年には、ベルリンに滞在していた竹久夢二がこの「イッテン・シューレ」で日本画の講師を務め、講義のために『日本画に就いて』を書いている。1932年からはクレーフェルトに新設された織物美術の高等専門学校の校長を兼ねたが、ベルリンの学校は1934年にナチスによって閉鎖され、1937年には作品が「退廃芸術」展に並べられた。翌1938年にクレーフェルトの職も解かれる。

同じ1938年、チューリヒの工芸学校と工芸美術館の館長に就き、1943年からはチューリヒの織物専門学校の校長も兼ねた。1949年には非ヨーロッパ美術を集めるリートベルク美術館の設立を任されている。色彩についての経験と知見は、1961年の著書『色彩の芸術(Kunst der Farbe)』にまとめられた。1967年3月25日、チューリヒで没した。

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