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エドゥアール・ヴュイヤール

エドゥアール・ヴュイヤール

Édouard Vuillard
8 作品

エドゥアール・ヴュイヤールは、母が縫いものをする部屋を何度も描き、注文主の食堂を9枚の絵で飾ったフランスの画家だ。人物が壁紙や布の模様に溶けこむような室内画で知られ、友人の画家ボナールとともに「親密派」と呼ばれた。

1868年、フランスのキュイゾーに生まれた。父は戦いで負傷して退役した軍人で、母方には織物や仕立てに携わる人が多かった。父が母のためにコルセットの店を買い、一家はその仕事場がある建物で暮らした。

ヴュイヤールも軍人になることを考えたが、学校時代の友人ルーセルに勧められ、1885年に絵を学び始めた。翌年には画塾のアカデミー・ジュリアンでウィリアム・ブグローらに学ぶ。美術学校の入学試験には3度落ち、1887年に合格した。

1889年に美術学校を離れ、ドニら旧友のいるナビ派に加わった。ゴーギャンの教えに学んだ若い画家たちが、「預言者」を意味する「ナビ」を名乗った集まりである。

1890年、仲間と日本の版画展に熱心に通ったあと、日記には急に北斎風の猫や富士山が現れる。歌麿や広重らの版画も約180枚集めた。色を平らに塗った装飾的な画面づくりには、ゴーギャンや浮世絵の影響が見られるとされる。

その描き方で、母や姉など身近な人々を描いた。母が1928年に没するまで二人で暮らし、縫いものをする母を繰り返し絵にした。姉とルーセルの結婚も連作の題材になった。

身近な室内を描く仕事は、部屋を飾る注文へと広がる。1894年には、雑誌『ルヴュ・ブランシュ』を出していたナタンソン兄弟の一人、アレクサンドルの食堂のために『パリの公園』9枚を制作した。翌年は兄弟のタデのために、縞模様のブラウスThe Albumを含む5枚を描いた。

1900年ごろから最期までヴュイヤールに寄り添ったのが、リュシー・ヘッセルだった。夫のジョスは、のちにヴュイヤールのただ一人の画商になった。

このころも肖像画や装飾画を描き続け、長く住んだ家の前にあるヴァンティミーユ広場を何度も絵にした。1911年には5枚の屏風ヴァンティミーユ広場にも描いている。

1912年には、父が重傷を負った戦いで受けたのと同じレジオン・ドヌール勲章を辞退し、「わたしの努力に、趣味のよい人々の敬意のほかに報いを求めない」と述べた。

1940年6月21日、ヘッセル夫妻が避難していたラ・ボールで没した。

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