デイヴィッド・アームストロング
ピントの合わない写真、というものがある。輪郭が滲み、光が滲み、それでも――いや、それだからこそ、被写体の体温だけがくっきりと残る写真。デイヴィッド・アームストロング(1954〜2014)が生涯かけて追い続けたのは、そういう像だった。
マサチューセッツ州アーリントン生まれ。14歳のとき、ケンブリッジのオルタナティブ・スクールで一人の少女と出会う。のちに写真家として世界的な名を成すナン・ゴールディンである。この出会いが彼の生を決めた。ボストンの美術館付属美術学校(SMFA)に進んでいったんは絵筆を握るが、ゴールディンに手を引かれるようにカメラへ転向し、マーク・モリスローやジャック・ピアソンらとともに、のちに批評家が「ボストン・スクール」と呼ぶことになる作家群の一角を占めるようになる。師弟というより、共犯に近い関係だった――同じ夜を生き、同じ仲間たちにレンズを向けた者同士として。
1981年、PS1(現MoMA PS1)の伝説的なグループ展「ニューヨーク/ニューウェイヴ」に出品したモノクロのポートレート群は、写す者と写される者のあいだの壁をほとんど取り払っていた。恋人、友人、見知らぬ夜の街で拾い上げた男たち――彼らは警戒を解き、無防備な佇まいのままカメラの前に立つ。それは1970〜80年代、ボストンとニューヨークを行き来したボヘミアンな交友圏の、静かで親密な肖像記録でもあった。ゴールディンのスナップショット的な赤裸々さに対し、アームストロングの写真はどこか古典絵画の油彩を思わせる、抑制された気品を帯びている。同じ被写体、同じ時代を写しながら、二人の視線はまったく違う質感を結んだ。
もう一方の軸が、意図的に焦点をぼかした都市風景と裸体の連作である。輪郭の溶けた光の塊のような像は、写真集《All Day, Every Day》(1995年)に結晶し、彼の代名詞となった。晩年にはヴォーグ・パリをはじめとするファッション誌の仕事にも手を伸ばすが、そこでもこの柔らかな滲みの光を手放すことはなかった。2014年、ロサンゼルスで肝臓がんのため59歳で世を去った。師を持たず、弟子も明確には残さなかったが、ゴールディンと並び称される固有の視線として、写真史のなかにその名を刻んでいる。
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