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アレクサンドル・カバネル

アレクサンドル・カバネル

Alexandre Cabanel
8 作品

19世紀フランスの画家アレクサンドル・カバネルのヴィーナスの誕生は、ナポレオン3世が私費で買い上げた。エドゥアール・マネら新しい画家を退けた側と見られてきたカバネルには、のちにマネの絵を擁護したという証言も残る。

1823年、フランスのモンペリエに生まれた。地元で絵を学び、13歳のころには、ほかの生徒に教えられるほどだったと伝わる。

パリではフランソワ=エドゥアール・ピコに学んだ。ローマ留学の給費が懸かった1845年のローマ賞では2位だったが、音楽の作曲の部で受賞者が出ず、空いた枠で給費を得たと伝わる。

1852年にイタリアからパリへ戻ると、サロンと呼ばれる国の展覧会と、万国博覧会でメダルを得た。1863年にはヴィーナスの誕生をサロンに出し、皇帝に買い上げられる。同じ年、学士院の会員に選ばれ、パリの美術学校の教授になった。

肖像画家としても評判を高め、名高い男性や社交界の女性がモデルになった。皇帝の肖像も描いたが、皇帝の体制を嘲る批評家たちは「ホテルの支配人の肖像」とけなした。

ヴィーナスの誕生も、称賛ばかりを受けたわけではない。1867年の万国博覧会に再び出されると、マネを支持する作家のゾラは、紅とおしろいで化粧した、アーモンドの練り菓子でできたような女神だと皮肉った。

カバネルの没後、批評家ミルボーは、彼がマネを生涯追い回し、サロンから締め出したと非難した。一方、子どものころからマネの友人だったアントナン・プルーストは、1881年にサロンの審査で起きたことを伝える。同僚が抗議したマネの《ペルテュイゼの肖像》を前に、カバネルは「ここに、これほどのものを描ける者は、4人もいないかもしれない」と言い、マネはそれを聞いて礼を言ったという。

プルーストは、カバネルとマネが同じ席で美術学校の教え方を話題にした晩のことも書いている。カバネルは「弟子たちに聞いてもらえばいい。私はいつも最大の自由を与えてきた」と語ったという。弟子の一人、ラファエル・コランは、のちにパリで黒田清輝を教えた。

カバネルは1889年にパリで没した。2010年には故郷モンペリエのファーブル美術館で大きな回顧展が開かれ、翌年ケルンに巡回した。

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