
エドワード・バーン=ジョーンズ
バーミンガムの額縁職人の家に生まれ、母を早くに亡くし、父ひとりに育てられた。オックスフォード大学エクセター・カレッジで聖職者を目指していたが、そこで出会ったウィリアム・モリスとの友情が人生を変えてしまう。中世の物語と装飾芸術に惹かれた二人は、聖職の道を捨てて美術と工芸に賭けることを決意した。
ロンドンに出てダンテ・ガブリエル・ロセッティに弟子入りするも、正式な美術教育はほとんど受けていない。それでも独学で培った線描の力は並外れており、細く硬質な輪郭と、憂いを帯びた面長の人物像という独自の様式を築き上げていく。1861年、モリスが興した商会に参加し、ステンドグラスやタペストリーの下絵を長年手がけたことも、装飾的で平面性の強い画風を育てる土壌になった。
代表作黄金の階段は、楽器を抱えた娘たちが螺旋階段を下りてくるだけの絵でありながら、物語の脈絡を断ち切って純粋な律動と光の効果に賭けた一枚として、当時の批評家を戸惑わせた。コフェチュア王と乞食娘では、王が卑しい身なりの娘の前にひざまずく主題を通じて、身分や富よりも美そのものへの跪拝を描いた。眠り続ける城の物語を描いたいばら姫連作、アーサー王伝説に取材したマーリンの誘惑など、中世ロマンスと神話への傾倒は生涯変わらなかった。
ラファエル前派の写実性から離れ、より装飾的で象徴的な、のちに象徴主義と呼ばれる画風へと進んだ点で、彼はこの世代の画家の中でも独特の位置を占める。1877年のグロヴナー・ギャラリー開設記念展での成功以降、フランスの象徴主義者たちからも高く評価され、ロセッティの神秘性とモリスの装飾感覚を、一枚の絵の中でひとつに溶け合わせた画家として記憶されている。晩年には准男爵に叙せられたが、本人はその名誉よりも、絵筆を握り続けることをずっと望んでいたという。
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