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クロード・モネ

クロード・モネ

Claude Monet
44 作品

1874年、クロード・モネはパリで仲間と開いた展覧会に港の朝の絵を出し、カタログに載せる題を「印象」とした。批評家ルイ・ルロワがこの題をからかった記事から、モネたちを指す「印象派」の名が生まれた。積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮と、同じ対象を繰り返し描き、光と大気の移ろいを追った画家である。

1840年にパリで生まれ、1845年ごろ港町ル・アーヴルへ移った。少年時代は似顔絵を1枚10〜20フランで売っていた。額縁屋に飾られた似顔絵の上には、画家ウジェーヌ・ブーダンの絵がよく掛かっていた。ブーダンはモネの似顔絵をほめ、「風景を描きなさい」と勧めた。1858年の夏、ブーダンが戸外で描く姿を見たときのことを、モネはのちに「ヴェールが裂かれたようだった」と語っている。

1862年、パリのグレールの画塾でピエール=オーギュスト・ルノワールやアルフレッド・シスレーと出会った。1869年、食べ物にも困るモネのもとへ、ルノワールは実家のパンをポケットに詰めて通った。2人はセーヌ川の水浴場で並んで描き、モネはラ・グルヌイエールを残した。作品の総目録をまとめたダニエル・ヴィルデンスタインは、このとき揺れる水面の照り返しを追って進めた技法を、印象派の核心と呼んでいる。

1874年の展覧会は、のちに第1回印象派展と呼ばれる。モネは印象・日の出やアルジャントゥイユのひなげしを出品した。ブーダンも同じ展覧会に絵を出していた。

1883年からジヴェルニーに暮らした。1891年5月、家の外の積みわらを描いた15点を一室に並べると、批評でも売れ行きでも前例のない成功を収めた。家には喜多川歌麿・葛飾北斎・歌川広重らの浮世絵が211点掛かる。モネは日本を訪れたことはなかった。1893年から家の裏の湿地を池に変え、日本風の木の橋を架けた。

晩年の睡蓮の絵では、岸や空を描かず、水面だけを描くようになった。1918年11月、第一次世界大戦の休戦の翌日、友人の政治家クレマンソーに手紙を書いた。仕上げかけの装飾画2枚を国に贈りたいという申し出だった。1926年12月5日、モネは86歳で世を去った。翌年、オランジュリー美術館で睡蓮の部屋が公開されたが、1928年にクレマンソーが訪ねたときは、ほかに誰もいなかった。1950年代になって、抽象絵画との近さから読み直され、ふたたび注目を集めた。

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