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与謝蕪村

与謝蕪村

よさぶそんYosa Buson
11 Artworks

与謝蕪村(よさ ぶそん)は、松尾芭蕉の「おくのほそ道」を全文写し、絵を添えた巻物を繰り返し描いた。芭蕉・小林一茶と並び称される江戸時代の俳人で、池大雅と並んで文人画を大成した画家でもある。

享保元年(1716年)、摂津の毛馬村、いまの大阪市都島区に生まれた。若くして江戸へ下り、俳人の早野巴人に俳諧を学んだ。

寛保2年(1742年)に師が没すると、下総の結城を拠点に、関東から東北へ約10年旅をした。「蕪村」の号が初めて現れるのは、旅の途中、寛保4年(1744年)に宇都宮で出した歳旦帖である。

宝暦元年(1751年)、新しい文人画を学ぶため京都へ移った。その後、丹後の宮津で3年半を過ごし、中国の絵の手本「八種画譜」「芥子園画伝」を学んだ。京都に戻ってから「与謝」を名乗り、やがて絵で暮らしが立つようになったらしい。

明和7年(1770年)、師の夜半亭を継いで2世となり、俳諧の宗匠になった。〈春の海終日のたりのたりかな〉〈菜の花や月は東に日は西に〉は代表句として知られる。ふだんの言葉を使いながら俗を離れる「離俗」を説いた。

翌年、大雅と《十便十宜図》を競作し、「十宜」の10図を描いた。中国の詩を絵に移し、季節や天候、朝夕のよろしさを描いた画帖である。十宜図 宜暁図は明け方を扱う。

安永5年(1776年)、弟子の几董への手紙で、自分の「はいかい物の草画」を誇った。略筆に淡い色を添える俳画は、このころ完成の域に達した。紫陽花にほととぎす図では、自作の句「岩くらの狂女戀せよほととぎす」に、飛ぶほととぎすと紫陽花を添えている。

安永6年(1777年)から約3年間、奥の細道図を集中的に描いた。芭蕉の百回忌に向け、その俳風へ帰ろうとする動きが高まった時期で、京都国立博物館の奥之細道図もこのなかで生まれた。

安永7年(1778年)からは画号「謝寅」を使い、鳶鴉図《夜色楼台図》など独自の水墨画を残した。《夜色楼台図》には中国の詩の一句を添え、家々の灯に赤茶、雪に白い絵の具を使っている。2009年に国宝に指定された。

天明3年(1783年)12月25日未明、京都の居宅で没した。数え年で68歳。辞世は「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」。

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