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歌川豊国

歌川豊国

うたがわとよくにUtagawa Toyokuni
239 Artworks

初代歌川豊国の父は、役者の似顔の人形を得意とする人形師だったという。その子の豊国は「役者舞台之姿絵」で人気を得て、美人画や本の挿絵も手がけ、幕末に歌川派が浮世絵の最大流派となる礎を築いた。

豊国は明和6年(1769年)、江戸の芝三島町に生まれた。豊国が挿絵を描いた山東京伝の合巻「朝茶湯一寸口切」の序文には、亡き父の倉橋五郎兵衛について「戯子(やくしゃ)の似顔の人形をつくるに妙を得たり」とある。浮世絵は歌川派の祖・歌川豊春に学んだが、入門の時期は分かっていない。

確認できる最も古い仕事は、天明8年(1788年)刊の黄表紙の挿絵である。寛政3年(1791年)以後は、生まれた三島町の出版元・和泉屋市兵衛から出す挿絵が目立って増えた。和泉屋との仕事が、駆け出しの豊国を育てたとされる。

寛政6年(1794年)正月、和泉屋から「役者舞台之姿絵」が売り出された。人気役者の舞台姿を全身で描くこのシリーズが、26歳の豊国の出世作となる。

同じ年の5月、出版元の蔦屋重三郎が黒雲母摺の大首絵28枚で東洲斎写楽を世に出した。役者絵は豊国・写楽・勝川春英の三つ巴となったが、似顔を理想化した姿に包み込む豊国の絵が大衆の支持を得た。写楽は10か月ほどで姿を消し、春英も数年後には役者絵から手を引いた。

美人画では鳥居清長や喜多川歌麿の影響を受けながら、歌麿の艶やかな女性とは異なる、健康的で柔らかな女性像を描いた。享和2年(1802年)の絵本時世粧は、文も画も豊国が手がけた絵本である。武家の女性から、小舟の上で働く最下級の遊女「船饅頭」まで、暮らしの違う女性たちを描き分けている。

読本や合巻の挿絵では葛飾北斎と人気を競い、締切に追われてしばしば仕事部屋にこもらされた。花見に出たいと言っても許されず、出版元が部屋に桜の枝を生けて描かせたという話も残る。文化年間(1804〜1818年)以降は、注文に応じて乱作に陥ったとされるが、人気は衰えなかった。

門人は40名以上を数え、歌川国貞(三代目歌川豊国)や歌川国芳が育った。のちの歌川広重も入門を望んだが、門生が満員で断られたという。豊国は文政8年(1825年)に57歳で没した。名は養子の豊重(二代目歌川豊国)が継ぎ、弘化元年(1844年)には国貞も豊国を名のった。

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