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歌川貞秀

歌川貞秀

うたがわさだひでUtagawa Sadahide
107 Artworks

天保4年(1833年)、歌川貞秀は鰹節5本を手に、戯作者の曲亭馬琴を訪ねて挿絵の仕事を願い出た。横浜絵や、町と海岸を高みから見渡す一覧図で知られる貞秀は、物語の挿絵も早くから手がけていた。

文化4年(1807年)に生まれ、生地は下総国布佐(いまの千葉県我孫子市)とされる。本姓は橋本、通称は兼次郎という。

歌川国貞(三代目歌川豊国)に学び、五雲亭や玉蘭斎を号した。馬琴を訪ねたのち、天保6年(1835年)刊の「傾城水滸伝」第十三編上の挿絵を受け持った。天保11年(1840年)刊の「南総里見八犬伝」でも、差し支えのできた画工に代わり、途中から画を描いている。

嘉永元年(1848年)に出した頼朝の富士の巻狩の図は、翌年に予定された将軍の鹿狩りを当て込んだものだった。「藤岡屋日記」によれば、合わせて8,000組が摺られる大評判となったが、検閲を担う名主によって版木を削られた。

翌年の番付では、歌川国芳や歌川広重と並び、最上段に名が載った。

地理を扱う仕事では「橋本玉蘭斎」の名も使った。安政2年(1855年)には、ほかの絵師とともに地誌「利根川図志」の挿絵を描き、間宮林蔵の述による「北蝦夷図説」の一・四巻にも画を寄せている。

後年の「浮世絵師伝」は、貞秀が最も得意としたものに武者絵と一覧図を挙げた。一覧図の多くは実地踏査に基づくとし、その細密さを「一描一線と雖もゆるがせにせず」と評している。

安政6年(1859年)の横浜開港後は、御開港横濱之全圖など、港町を描く錦絵や絵図を数多く出した。文久2年(1862年)刊の横浜開港見聞誌では、文を橋本玉蘭斎、絵を五雲亭貞秀の名で書き分けた。

慶応2年(1866年)、幕府は翌年のパリ万国博覧会に出す「浮世絵画帖」の制作を11人の浮世絵師に命じた。貞秀も選ばれ、歌川芳宗とともに仲間の総代を務めた。

明治4年(1871年)に出した横浜の大きな地図には、「六十五老夫、橋本玉蘭齋先生圖畫」とある。明治8年(1875年)から9年(1876年)にも合巻の文と挿絵を手がけ、奥付に橋本兼次郎の名と深川安宅町の住所が残る。没年ははっきりしない。

平成9年(1997年)、神奈川県立歴史博物館で開かれた貞秀の展覧会は、「横浜浮世絵と空とぶ絵師 五雲亭貞秀」と題された。

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