
トマス・ゲインズバラ
トマス・ゲインズバラは、18世紀イギリスでジョシュア・レノルズと並ぶ肖像画家だが、本人が満足を得たのは風景画のほうだった。地主夫妻とその土地を描いたアンドルーズ夫妻や、アンソニー・ヴァン・ダイクにならった17世紀の衣装の少年を描く青衣の少年で知られる。
1727年、イングランド東部のサフォーク州サドベリーに生まれた。父は町の毛織物業者で、9人きょうだいの末っ子だった。1740年、13歳でロンドンへ出て、フランス人の版画家ユベール・グラヴロに学んだ。風景画は、オランダの画家ヤーコプ・ファン・ライスダールらの作品を写しながら独学した。
当時、風景画は肖像画より格が低く、稼ぎも少なかった。1748年から翌年にかけて故郷へ戻り、肖像画に力を入れる。1752年にイプスウィッチ、1759年に温泉保養地のバースへ移った。バースではヴァン・ダイクの肖像画を研究し、上流階級の客を得た。
1760年代の手紙には、肖像画にはうんざりだと書いている。ヴィオラ・ダ・ガンバを抱えて気持ちのいい村へ行き、風景を描きながら静かに余生を送りたい、と友人に打ち明けた。この楽器に熱中し、バース時代には5台を持っていた。
1768年、ロイヤル・アカデミーの創立会員になった。1774年にロンドンへ移り、1780年には国王ジョージ3世と王妃を描いた。アカデミーとは作品の展示方法をめぐってたびたび衝突した。1784年には三人の王女の肖像を掛ける高さで折り合えず、出品作をすべて引き上げた。それ以降、アカデミーには出品していない。
風景画を描くのは夜だった。卓上に石や鏡のかけら、ブロッコリーを並べて模型を作り、ろうそくで照らした。1780年代には、ガラスに描いた風景を箱の中で後ろから照らして見せる「ショーボックス」も使った。
1788年8月2日、癌のため61歳で世を去った。その数日前、長年のライバルだったレノルズに手紙を書き、もう一度会いたいと頼んだ。レノルズによれば、病床のゲインズバラは「我々はみな天国へ行く。ヴァン・ダイクも一緒だ」とささやいたという。その年の12月、レノルズはアカデミーで学生に向けた講話で、主にゲインズバラの才能を論じた。
Own a work by Thomas Gainsborough?
List it for sale on Cugira.














