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ジョシュア・レノルズ

ジョシュア・レノルズ

Joshua Reynolds
10 Artworks

デヴォンの牧師の息子として生まれ、絵の道具より先に本を読むよう育てられたはずが、結局は筆を選んだ。ロンドンでトマス・ハドソンに学んだのち、二十代半ばでイタリアに渡り三年ちかく滞在する。ローマでラファエロやティツィアーノ、そしてミケランジェロの天井画の前に立ち尽くした経験が、彼の絵画観の骨格をつくった。肖像画とは単なる似姿の記録ではなく、古典の理想と結びついた「壮大な様式(グランド・マナー)」であるべきだという確信を、彼はそこで固めていく。

帰国後のロンドンで瞬く間に肖像画家の頂点に立った。貴族から俳優、思想家までが列をなして彼のアトリエを訪れ、一年に百点を超える注文をこなす日もあったという。友人であった名優デイヴィッド・ギャリックを喜劇と悲劇の擬人像に挟まれた姿で描いた作品や、サラ・シドンズ、悲劇の女神としては、写実と神話的な誇張を大胆に重ねる彼の手法をよく示している。子供を描かせても巧みで、ストロベリー・ガールのような無垢な眼差しの少女像は同時代の人々の心をつかんだ。

技法においては大胆というより無謀に近く、瀝青(ビチューメン)を多用した絵具は美しい深みを生む代わりに経年でひび割れ、色が沈んでしまう作品も少なくない。それでも彼は実験を恐れなかった。

1768年に設立された王立芸術アカデミーの初代会長に選ばれ、以後十五回にわたって行った「講演(ディスコース)」は、素描力と観察を土台にしつつも自然の忠実な模写を超え、普遍的な美と理想を追求すべきだと説く、イギリス美術理論の礎となった。トマス・ゲインズバラとは終生のライバル関係にありながら互いの技量を認め合い、ゲインズバラの臨終の床に呼ばれたレノルズがその手を握ったという逸話も伝わる。晩年は視力を失いながらも制作を続け、王立芸術アカデミーの創設者としての名声とともにセント・ポール大聖堂に葬られた。イギリス肖像画を単なる記録芸術から一級の芸術ジャンルへ押し上げた、その功績は揺るがない。

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