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尾形月耕

尾形月耕

おがた げっこうOgata Gekkō
78 Artworks

浮世絵の世界では、誰の門を叩いたかがその絵師の血脈を決める。歌川の系譜、菊川の系譜——師から弟子へ、名と筆法が受け継がれてゆく。尾形月耕(安政6年〈1859年〉〜大正9年〈1920年〉)は、その系図のどこにも属さない絵師である。特定の師につかず、菊池容斎の歴史人物画集『前賢故実』を手本に独学で筆を鍛えた——このほとんど例外的な出自こそが、彼の絵に流派臭のない、絵画そのものに近い自由をもたらした。

江戸京橋弥左衛門町の生まれ、本名は名鏡正之助。家はもと葛飾の地主で羽振りもよかったが、数え十七の明治9年に父を病で失うと利権は他家に移り、一家は没落する。提灯屋で糊口をしのぎながら、吉原遊廓の絵びら、人力車の蒔絵、輸出陶器の下絵——手に入るあらゆる仕事に筆を入れて画技を磨いた。この応用美術の現場で鍛えられた観察眼と装飾感覚が、のちの月耕様式の土台となる。

世に出るきっかけは、明治10年ごろ自費で出した三枚続の時事錦絵《征韓論》だった。時局を即座に画面へ写し取るその手腕が評判を呼び、明治14年ごろには尾形光琳の子孫に勧められて由緒ある尾形姓を継いだ。以後は『絵入朝野新聞』の挿絵や書籍の口絵に腕を振るい、明治17年結成の鑑画会に加わって翌年の第一回展へ《仏師運慶の図》を出品。ここで彼は、木版の色面分割よりも流麗な線描と絵画的なぼかしを重んじる、日本画・四条派・漢画までを溶かし込んだ独自の描線をつくり上げていく。

画業が凝縮するのが、大判八十四枚揃の月耕随筆(明治24〜29年刊)である。歴史・故事・風俗を自在に横断し、モデルを立てた写生に基づく確かな人体と、律動する線が同居する。同じ観察の姿勢は《源氏五十四帖》美人花競といった揃物にも、また従軍記者として現地に赴いて描いた日清戦争の戦争錦絵や《義士四十七図》の劇的な歴史画にも生きている。葛飾北斎に触発された富士の連作もあり、場面を切り取る大胆な構図が持ち味だ。

明治31年の《曽我夜討》は明治天皇の御買上となり、シカゴ・セントルイスの万国博覧会でも褒状や牌を受けた。日本の版画家として早くから国際的評価を得た一人であり、その名は欧米の収集家に知られた。門下からは花鳥・能画に澄明な境地を拓いた月岡耕漁、大正の新版画で妖艶な役者絵を残した山村耕花が育っている。師を持たなかった絵師が、確かな系譜の起点となった。

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