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森

森田華香

もりた かこうMorita Kakō
2 Artworks

森田華香は、日露戦争が始まった明治37年(1904年)2月に大黒屋(松木平吉)から戦争錦絵を出した。その半年足らず後には、魚や鳥を描く仕事のために米国のミネアポリスにいた。米国では「Kako Morita」の名で科学イラストレーターとして働いた画家である。

二つの仕事を結びつけたのは、印だった。2025年の研究で、旅順の戦争錦絵の印が、1905年に魚類学者のジョーダンへ送った手紙の印と一致すると確かめられ、版画の絵師と科学イラストレーターは同じ人物と分かった。

森田は東京に生まれ、生年は明治8〜10年(1875〜77年)ごろと考えられている。同じ「華香」の字を使う日本画家の都路華香とは別人である。英語圏の目録に見える「1870〜1931」という生没年は、都路との混同から広まった。

明治33年(1900年)の日本美術院の展覧会目録に、森田の名がある。翌年には、日本美術院で岡倉天心に学んだ画家たちの絹本の絵として、森田の4点がニューヨークの競売に出た。

1902〜03年にはスタンフォード大学で、学長だったジョーダンのもとで魚の絵を描いた。森田の恵比寿の図Ebisu, the Fish-god of Japan, bearing a Red Taiも、ジョーダンの本に載った。

明治36年(1903年)7月に帰国し、翌年2月9日、日露戦争が始まった日を東京で迎えた。この年、仁川の於仁川港我艦撃沈敵艦二隻敗兵乗端艇逃走之図、旅順、義州の三枚続が大黒屋から出た。

大黒屋は森田の花鳥版画の一部も出版した。ほかの版画は滑稽堂から出ている。

6月に日本を発ち、8月にはミネアポリスにいた。ミネソタ大学の研究者のために魚と鳥を描き、のちにはカーネギー研究所でサボテンの図も描いた。スミソニアン国立自然史博物館には、魚の絵97点とサボテンの図49点が残る。

1930年にはシアトルで入国を拒まれて収容され、4月に日本へ送還された。研究で確かめられた消息はここまでで、没年は分かっていない。

一方、日本の名簿にも同名の画家が見える。大正11年(1922年)の名簿には48歳、昭和19年(1944年)の名簿には69歳の森田華香が、いずれも本郷区の千駄木町の住所で載る。年齢が米国の記録と合い、同じ人物と読める。同じなら、1944年ごろは存命だった。

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