
都路華香
揺れつづける水面を、これほど飽かず描いた画家も珍しい。都路華香(つじ かこう、1871〜1931)は、明治から昭和初期の京都で四条派の筆を継いだ日本画家である。
京都に生まれ、1880年、わずか9歳で幸野楳嶺の門をたたいた。「都路華香」の号は師が与えたもので、平安の文人・都良香の名に倣い、「都」の「路(みち)」に「華」の「香り」が立つ、という凝った言葉遊びが仕込まれている。楳嶺のもとでは菊池芳文・竹内栖鳳・谷口香嶠と並んで四天王と称され、なかでも華香は最年少の門弟であった。
もっとも、その画業は一本道ではなかった。14歳で家庭の事情から画塾を離れ、家業の友禅描きに手を染め、16歳で染色学校に進んで理化学と英語を三年学んでいる。染物の下絵で鍛えた意匠感覚と、科学の眼で対象を見据える冷静さ――この二つが、のちの静謐な画面の底に沈んでいる。
1899年、建仁寺の黙雷禅師のもとで参禅に入る。以後、禅を主題とした作品が増え、そうでない画にも大らかさと自由闊達さが通うようになった。とりわけ波である。うねり、砕け、また凪ぐ水面を繰り返し描き、それが華香画業の芯となった。代表作綠波はシアトル美術館に収まり、禅の悟りを牛飼いに託した《十牛図》(1913年)、古代の土偶を静かに見据えた埴輪(1916年、第十回文展特選)、天守の白い威容を捉えた白鷺城(1919年)と、遺物から名城まで、対象をひたと見つめる眼差しがそのまま画面の落ち着きになっている。
1910年、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)の嘱託教員となり、冨田溪仙・皆川月華ら後進を導いた。1924年の第五回帝展から審査員に就き、翌1925年には帝国美術院会員となるとともに、同校および京都市立美術工芸学校の校長心得を担う。1928年に胃癌の手術を受けて「再生菴」と号したが、1931年8月4日、六十年の生涯を閉じた。
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