
伊藤若冲
いとう じゃくちゅうIto Jakuchu
120 Artworks
庭に数十羽の鶏を放し、朝な夕なその姿を写し続けた男がいた。羽の重なり、蹴爪の反り、地を掻く一瞬の脚——飽きるほど眺めてから、ようやく筆を執る。伊藤若冲は正徳6年(1716年)、京・錦小路の青物問屋「枡屋」に長男として生まれた。家業を切り盛りするかたわら、まず狩野派の筆法を習い、次いで舶来の宋元画を一枚また一枚と模写し、尾形光琳ら琳派の金地の装飾も取り込んだ。だがどの流派にも腰を落ち着けず、店先の鶏や草花を写す反復のなかから自分の絵をつかんだ。相国寺の禅僧大典顕常は早くにその才を見抜き、老子の一節「大盈は冲(むな)しきが若(ごと)し」から「若冲」の号を授けたと伝わる。
40歳で店を弟に譲り、若冲は絵だけの暮らしに入る。そこから生まれたのが《動植綵絵》全30幅だ。孔雀の羽の目玉模様、鶏冠の一つひとつ、魚の鱗の一片までを塗り込め、極彩色の群鶏がひしめき合う。この連作は釈迦三尊像とともに相国寺へ寄進され、明和7年(1770年)に納められた。濃密な色の一方で、水墨のにじみを利用した筋目描き、方眼を煉瓦のように積み上げて白象や鳥獣を描く升目描みにも手を伸ばし、若冲の実験は色と技法の両極へ広がっていった。
天明8年(1788年)の大火で錦小路の住まいを焼かれると、伏見の石峰寺門前へ移り、境内に並ぶ五百羅漢の石像の下絵にも携わった。寛政12年(1800年)、同地で85年の生を閉じる。長く一部の数寄者に知られるだけだったが、1970年代に美術史家辻惟雄が「奇想の系譜」の一人に据えて以降、若冲を見る目は一変した。
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120 works








































































































