
長谷川貞信(初代)
大坂の浮世絵師、長谷川貞信(初代)の役者絵には、金を摺り込んだために江戸で売り止めになったものがある。芝居の絵で評判を得た貞信は、故郷を描いた「浪花百景」などの名所絵でも知られる。
貞信は文化6年(1809年)、大坂南船場に生まれた。実家は茶巾や袱紗を商う店だった。はじめは四条派の画家、上田公長に学んだが、修行の途中で実家の商売が立ちゆかなくなる。家へ戻ると、浮世絵師として身を立てることを決めた。当時、大坂で評判だった歌川貞升に学び、15歳で「浪花亭貞信」と号して描いた役者絵が初作とされる。
江戸で売り止めになったのは、天保8年(1837年)に出た「役者見立八犬伝」の4枚である。錦絵や草紙の色に金を使うことは、上方ではお構いなしだったが、江戸では寛政のころから厳しく禁じられていた。大坂から送られた絵はいったん店頭に並び、その後、吟味を受けて売り止めになった。同じ絵でも、売る土地によって扱いが変わったのだ。
小説「八犬伝」の作者、曲亭馬琴にも、この絵が贈られている。馬琴は礼状で、京・大坂の絵も巧みになり、江戸のものと見まがうほどだと評した。天保11年(1840年)の大坂の諸芸番付にも、役者似顔絵の描き手として貞信の名が載る。
貞信は、風景画や名所絵でとりわけよく知られている。「都名所之内」では京都を、「浪花百景」では故郷の大坂を描いた。貞信の「浪花百景」は、一荷堂半水の詞書を添え、綿屋喜兵衛が出版した揃いである。上編と中編は出たが、下編は出なかった。同じ名で100枚からなる「浪花百景」もあるが、こちらは別の絵師3人の合作で、貞信は加わっていない。
紙を切って組み立てる切組灯籠も、多く手がけた。明治初めに描いた忠臣蔵の14枚の大作には、自ら「一世一代の製画」と書き添えている。明治6年(1873年)には、啓蒙書「開化乃入口」の挿絵を描いた。芝居の場面を紙で組み立てる仕事から、新しい時代を伝える本まで、さまざまな仕事に筆を執った。
明治8年(1875年)、長男の小信に貞信の名を譲り、隠退した。その後も急がない仕事に限って描き続け、明治12年(1879年)に世を去った。名を譲った後の作品では、「貞信」の署名があっても、初代と二代目を区別する必要がある。
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