川は、部屋の角を曲がっていた

狩野派の絵師・狩野宗眼重信が描いた川は、青森の旧家と、ロンドンの大英博物館に分かれて伝わった。

青森県中泊町尾別の宮越家には、《春景花鳥図襖》という4面の襖絵がある。離れの「詩夢庵」を飾ってきた絵だ。一方、大英博物館には《秋冬花鳥図》の襖4面がある。この2組を、部屋の角で折れ曲がるように直角に並べると、川と岸辺の地面がつながる。

狩野宗眼重信《春景花鳥図襖》4面(17世紀初、宮越家蔵)。出典:中泊町『広報なかどまり』2025年6月号
狩野宗眼重信《春景花鳥図襖》4面(17世紀初、宮越家蔵)。出典:中泊町『広報なかどまり』2025年6月号
狩野宗眼重信《秋冬花鳥図》4面(1612年頃、大英博物館 1937,1009,0.1-4)。出典:© The Trustees of the British Museum(CC BY-NC-SA 4.0)
狩野宗眼重信《秋冬花鳥図》4面(1612年頃、大英博物館 1937,1009,0.1-4)。出典:© The Trustees of the British Museum(CC BY-NC-SA 4.0)

春景は、もとの部屋の東側に面していたとされる。秋冬は北側で、北側のほうが横幅も長い。別々の所蔵先にあった4面ずつの絵に、部屋の角が戻ってきた。

2組は、もとは奈良の談山神社にあった。当時は寺と神社が一体の多武峰妙楽寺で、明治維新後の廃仏毀釈の混乱で流出し、その後、別々の道をたどる。

春景は1922年に宮越家が購入した。秋冬は美術商の手を経て、1937年に大英博物館へ入った。

一続きの襖だと研究者が確認したのは2024年。ところが、川がつながったところで、話は終わらなかった。読み直しのきっかけは、川の流れそのものにあった。

「夏」を消したのは、急流だった

2024年の発表で、宮越家の襖は《春夏花鳥図》とされた。大英博物館の秋冬と対になる、春と夏の絵だと考えられたからだ。

京都国立博物館で主任研究員を務めた山下善也は、自らその名を発表しながら、引っかかるものを感じていた。『広報なかどまり』2025年6月号で、こう語っている。

「夏の景色と考えていた川部分の急流の描写にずっと違和感があり」

川のそばには白梅や椿が咲く。山下は、急流を夏の川ではなく、早春の雪解け水と判断した。雪解けの急流から、春の盛りへ。4面を通して描かれていたのは、春という季節の移り変わりだった。

こうして2025年、山下は題を《春景花鳥図》に改めた。

川は季節だけでなく、絵が置かれていた部屋の向きの手がかりにもなる。山下は、春を東、冬を北に対応させる古い四季と方角の考え方にも注目している。西側と南側にも対応する絵があったかもしれない、というのが山下の見立てだ。

春景と秋冬がそろっても、なお空いている壁があるかもしれない。

作者は、永徳の弟の弟子だった

2026年7月、研究者がこの襖絵を宗眼重信の筆と断定したことが報じられた。人物の描き方などを調べた結果だという。談山神社から出た襖絵群には、大英博物館の花鳥図の裏面にあった人物画(シアトル美術館の《琴棋書画仙人図》)もある。

大英博物館の記録でも、《秋冬花鳥図》は宗眼重信の作とされ、制作は1612年頃とされている。

重信の師は、狩野宗秀である。桃山時代の大画面で知られる絵師・狩野永徳の弟だ。この時期の狩野派では、狩野家の血筋の絵師だけでなく、門人も大きな仕事を担っていた。

山下は美術雑誌『國華』の論文で、確実な宗眼重信の作品と比べ、重信とする先行の説を支持した。談山神社の古文書からは、襖があった建物(学頭屋敷)の「花鳥の間」の略図も見つけている。山下は談山神社旧蔵の襖絵群を、次のように位置づける。

「門人筋の実力絵師=狩野宗眼重信の代表作」

では、狩野家の血筋ではない門人が、なぜ部屋を包む絵を描けたのか。花や鳥を描くだけでは、川も地面も隣へ続く部屋の絵にはならない。何面もの襖に自然を広げる組み立てを、絵師はどのように身につけたのだろう。

重信の襖から約1世紀さかのぼると、狩野派2代目の絵師・狩野元信に行き着く。始祖・正信の息子で、大きな画面を何人もで描ける「型」を整え、弟子が学べるものにした人である。

1人の画風を、何人もで描く

元信の頃、絵を注文する人は、中国の画家の名を挙げて好みを伝えていた。「馬遠様」なら、中国の画家・馬遠の作風で、という頼み方だ。絵師は名家の描き方に倣い、注文に応じて使い分けた。

元信は、その描き方を整理し、書の楷書・行書・草書にならって、真・行・草の3つの画体にまとめた。緻密な構図と描線の真体、最も崩した草体、その中間の行体である。

ただ、筆づかいを3種類に分ければ済む話ではない。

京都国立博物館の山本英男は、元信が筆の調子を変えても、空間の組み立てや描くものの形をそろえたことに注目する。山本によれば、元信はそれによって、次のような画風を示した。

「誰が見ても一人の画家が描いたとわかる画風」

弟子たちは、その型を学ぶ。複数の絵師が描いても、同じ工房の仕事として質をそろえられる。

元信は大きな襖や屏風から、小さな絵巻や扇まで、さまざまな注文に素早く応じた。注文主も幕府や寺院にとどまらず、宮廷や、裕福な町の住人に広がっていた。

1539年から1553年までの15年間、元信は大坂の石山本願寺で、阿弥陀堂や寝殿などの壁や襖に絵を描いた。史料から確認できる滞在だけで、約440日。他の絵師たちも長く滞在して制作に携わっている。

元信はたいてい年の中ごろから後半にかけて仕事をし、年末に報酬を受け取って京都へ戻った。1度描いて終わる仕事ではない。寺の建物を飾るため、元信は何年も通い、複数の絵師が筆を動かした。その仕事を支えたのも、弟子が学べて、繰り返し使える型だったのだろう。

異国の鳥は、京都の部屋にいた

元信の花鳥画の代表作が、京都・大徳寺の大仙院に伝わる《四季花鳥図》だ。本堂の1室を飾った8面の襖絵で、つなげると約9.5mに及ぶ。現在は掛軸に仕立て直され、京都国立博物館に寄託されている。

通常は1513年の作とされる。ただし、寺の建築史から1535年とする説もある。

狩野元信
四季花鳥図
1513 紙本著色/掛幅(8幅のうち4幅)

キンケイやオウムなどは、日明貿易によって舶来した珍鳥だった。研究者の渡野りつ佳は2024年の研究で、キンケイを詠んだ漢詩を手がかりに、この鳥が権力者に賞玩されていたことを指摘している。

珍しい鳥を部屋に描くことは、遠い国への関心や、注文主の趣味にも応えたのだろう。庭先にいる鳥だけを集めた絵ではなかった。

元信は明の山水画や花鳥画を参照したとみられるが、そのまま日本の部屋へ移したのではない。横に連なる襖に合わせて、四季が続く画面を組み立てた。松を手前に、滝を背後に置く構図を完成させたのも元信だった。この組み立ては、のちの狩野派にも受け継がれた。

米国のクリーブランド美術館には、元信の作と伝わる《春花鳥図》がある。宮越家の《春景花鳥図襖》とは別の、4面1組の襖絵だ。

狩野元信
Flowers and Birds in a Spring Landscape
1500–1559 紙本着色/掛幅 177.1 × 137.1 cm
狩野元信
春花鳥図 二(伝狩野元信)
1500 紙本着色/掛幅 177.1 × 137.1 cm
狩野元信
春花鳥図 三(伝狩野元信)
1500 紙本着色/掛幅 177.1 × 137.1 cm
狩野元信
春花鳥図 四(伝狩野元信)
1500 紙本着色/掛幅 177.1 × 137.1 cm

現在は4本の掛軸になっている。岩や丘は中国の水墨画の繊細な筆づかいで、鳥や花は日本の絵の色彩と写実で描く。この組み合わせが、元信の功績とされる。

1970年、東京の画廊からクリーブランド美術館が購入した。1979年には一度日本に戻り、東京国立博物館の「狩野派の絵画」展に並んでいる。

この4面を見ていると、掛軸になる前の部屋を考えたくなる。襖は飾る面であると同時に、空間を仕切る建具でもあった。元信の花鳥画は、人が暮らす場所の大きさに応じて描かれていたと読める。

花鳥が、部屋の3方から迫る

元信の孫が永徳である。若い頃の代表作に、京都・大徳寺の聚光院を飾った《花鳥図》がある。24歳頃の制作とされるが、制作時期には諸説ある。

狩野永徳
Juko-in-2
1566 紙本墨画・襖
狩野永徳
Jukoin-1-left
1566 紙本墨画・襖
狩野永徳
Jukoin-2-left
1566 紙本墨画・襖

聚光院の方丈(本堂)で最も重要な部屋が「室中」だ。永徳はここに16面の花鳥図を描き、東・北・西の3方をコの字に囲んだ。

ここでも、東側の春に雪解け水が流れる。青森の襖で「夏」を読み直すきっかけになった水が、永徳の春にもある。部屋の壁に季節を配する花鳥画では、季節を告げるものが花だけでなく、水の動きにもあったと読める。

聚光院では、永徳と父の松栄が4室にわたる46面の水墨画を手がけた。現在、原本は京都国立博物館に寄託され、聚光院の方丈には高精細複製が置かれている。

元信の大仙院本は、墨の山水に色鮮やかな珍鳥を置いた8面。永徳の聚光院本は、墨一色の16面で部屋の3方を囲む。型を受け継いでも、注文された部屋に応じて、花鳥画の広がり方は変わっていく。

永徳はやがて、天下人から相次ぐ注文に応え、雄壮な大画面の様式を確立する。元信が整えた部屋の絵は、桃山時代の大きな仕事へとつながっていった。

「8面そろうと迫力がある」

2025年、宮越家の詩夢庵で、春景の原本と大英博物館の《秋冬花鳥図》の高精細複製を並べる特別展示が開かれた。原本と複製による再会だった。

翌2026年7月、東京都美術館で両方の原本がそろった。報道によれば、約150年ぶりの再会である。宮越家当主の寛は、こう語った。

「8面そろうと迫力がある」

8面がそろうと、川と地面がつながり、長さの違う2つの壁が戻ってくる。春の絵と秋冬の絵が、同じ部屋をつくっていた姿が見えてくる。

その部屋を描いたのは、狩野家の血筋ではなく、永徳の弟に学んだ門人の重信だった。

元信が弟子たちに示した型は、そんな絵師の仕事にも届いていたと読める。描く鳥や木の手本に加えて、複数の襖に自然を広げる組み立てが受け継がれていたのだろう。

元信から約1世紀後、重信が描いた川は、襖が青森とロンドンに分かれても、部屋の角で再びつながる形で残っていた。

出典

注

  • 山本英男の言葉は、artscape の影山幸一による取材記事(2011年)からの引用。山本の所属は取材当時のもの。
  • 石山本願寺での滞在日数と働き方は、辻惟雄の研究を紹介した五十嵐公一の論文による。
  • 宮越家の《春景花鳥図襖》と大英博物館の《秋冬花鳥図》は、自由に使える画像が無いため図版を置いていない。
  • 宮越家の襖の制作年は、山下善也が『広報なかどまり』で1600年〜1624年としている。大英博物館は《秋冬花鳥図》を1612年頃とする。
  • 図版は、クリーブランド美術館のオープンアクセス画像と、Wikimedia Commons の画像(大仙院《四季花鳥図》、聚光院《花鳥図》)による。《四季花鳥図》は8幅のうち4幅を並べたもの。

Images

  • 狩野元信《四季花鳥図》 — Public domain / 大仙院(重要文化財、京都国立博物館寄託)。画像: Wikimedia CommonsSource
  • 狩野元信《Flowers and Birds in a Spring Landscape》 — CC0 / The Cleveland Museum of Art, Leonard C. Hanna Jr. FundSource
  • 狩野元信《春花鳥図 二(伝狩野元信)》 — CC0 / The Cleveland Museum of Art, Leonard C. Hanna Jr. FundSource
  • 狩野元信《春花鳥図 三(伝狩野元信)》 — CC0 / The Cleveland Museum of Art, Leonard C. Hanna Jr. FundSource
  • 狩野元信《春花鳥図 四(伝狩野元信)》 — CC0 / The Cleveland Museum of Art, Leonard C. Hanna Jr. FundSource
  • 狩野永徳《Juko-in-2》 — Public domain / Wikimedia CommonsSource
  • 狩野永徳《Jukoin-1-left》 — Public domain / Wikimedia CommonsSource
  • 狩野永徳《Jukoin-2-left》 — Public domain / Wikimedia CommonsSource

この記事に出てくる作家

狩野宗眼重信

Kano Sogen Shigenobu

狩野元信

Kano Motonobu

1476–1559

狩野宗秀

Kano Soshu

1551–1601

狩野永徳

Kano Eitoku

1543–1590

馬遠

Ma Yuan

1160–1225