流派
菱川派
ひしかわは
菱川派(ひしかわは)は、菱川師宣を祖とする浮世絵の流派で、師宣の子の師房や門人たちからなる。寛文年間(1661〜73年)に安房から江戸に出た師宣は、版本の挿絵を描くうちに、挿絵から独立した一枚絵の版画を生み、遊里や芝居町、行楽地に集う人々を描いた。長男の師房や古山師重・菱川師平ら多くの門人を育てて工房で肉筆画を制作し、その美人の姿は「菱川やうの吾妻俤」と俳諧に詠まれて広く流行した。1694年に師宣が没すると一派は衰え、師房も絵師をやめて家業の紺屋に戻ったといわれる。
出典: コトバンク「菱川派」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/菱川派-609845、コトバンク「菱川師宣」(改訂新版 世界大百科事典(小林忠)・日本大百科全書(浅野秀剛)・ブリタニカ国際大百科事典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/菱川師宣-119634、コトバンク「菱川師房」(日本人名大辞典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/菱川師房-1103416、ja.wikipedia「菱川師房」(2025-06-29 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/菱川師房
年表・沿革
1672
- 師宣が絵入り本『武家百人一首』に「絵師 菱川吉兵衛」と記し、江戸の挿絵画家として初めて名を入れた。
1687
- 藤田理兵衛の地誌『江戸鹿子』が、「浮世絵師」の項に師宣(菱川吉兵衛)と長男の師房(同吉左衛門)を載せた。
1689
- 石川流宣の『江戸図鑑綱目』が「浮世絵師」の項に師宣と師房を、「板木下絵師」の項に古山師重と菱川師永を載せ、師重はこのころ師宣の一家から独立して長谷川町に住んだ。
1694
- 師宣が元禄7年6月4日に江戸・村松町の自宅で没し、こののち菱川派は衰えた。
1700
- 長男の師房が、浮世草子『好色一もとすゝき』の挿絵を描いた。
1701
- 古山師重の子の古山師政が、このころ菱川一門を離れた。
関連人物
- 師宣の長男 菱川師房
俗称は吉左衛門、のち吉兵衛。父に学んで版本の挿絵や肉筆の美人風俗画を描いたが、師宣の没後、絵師をやめて紺屋に転じたといわれる
- 師宣の門人 古山師重
俗称は太郎兵衛。初め菱川を名のり、のち本姓の古山に改めた。1689年ごろ独立して長谷川町に住み、貞享から元禄にかけて浮世草子などの挿絵を描いた
- 師宣の門人 菱川師平
元禄のころ肉筆の美人風俗画を描いた
- 師宣の次男(娘婿とも) 菱川師永
俗称は作之丞。1689年の『江戸図鑑綱目』に「橘町 菱川作之丞師永」と載る
- 古山師重の子 古山師政
元禄10年(1697年)前後には菱川派の画風で父の代筆をしたが、1701年ごろ菱川一門を離れた。師政から菱川派の画風が一変したといわれる
