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版元

東陽堂

とうようどう

東陽堂(とうようどう)は、吾妻健三郎が1876年(明治9年)に東京の日本橋で開いた出版・印刷の店。ワグネルに学んだ銅版・石版の技で、農商務省地質調査所の地形図・地質図の印刷や美術書の出版を手がけ、1887年から美術雑誌『絵画叢誌』、1889年から日本初のグラフ雑誌『風俗画報』を出した。社員名簿の絵画部員には、尾形月耕・寺崎広業・山本松谷(昇雲)・坂巻耕漁(月岡耕漁)らが名を連ねた。

出典: ja.wikipedia「吾妻健三郎」(2026-06-26 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/吾妻健三郎、ja.wikipedia「風俗画報」(2025-11-24 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/風俗画報、コトバンク「吾妻健三郎」(20世紀日本人名事典・デジタル版 日本人名大辞典+Plus、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/吾妻健三郎-1050210、コトバンク「風俗画報」(改訂新版 世界大百科事典・日本歴史地名大系・山川 日本史小辞典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/風俗画報-1200316、市立米沢図書館 先人顕彰コーナー展示「吾妻健三郎と大橋乙羽」の資料リストと解説(2021年5月28日〜7月20日、2026-10-12 取得) https://www.library.yonezawa.yamagata.jp/wordp/wp-content/uploads/2021/06/79a4f751164f03d4722517071a0049f8-1.pdf、日本力行会編『現今日本名家列伝』(日本力行会出版部、1903年10月)の吾妻健三郎の項(国立国会図書館デジタルコレクション、2026-10-12 取得) https://dl.ndl.go.jp/pid/777743、地質調査所『地質調査所沿革及事業』(地質調査所報告 第3号、農商務省地質調査所、1907年12月。国立国会図書館デジタルコレクション、2026-10-12 取得) https://dl.ndl.go.jp/pid/831311、ジャパンナレッジ『風俗画報』(ゆまに書房、原誌 東陽堂)の解説(2026-10-12 取得) https://japanknowledge.com/contents/fuzokugaho/、ジャパンナレッジ『風俗画報』「山下重民 自伝」(2026-10-12 取得) https://japanknowledge.com/contents/fuzokugaho/shiryo02.html、ジャパンナレッジ『風俗画報』「東陽堂社員・関係者一覧」(2026-10-12 取得) https://japanknowledge.com/contents/fuzokugaho/shiryo04.html

年表・沿革

  1. 1876

    • 3月、吾妻健三郎が日本橋の葺屋町に印刷業を開き、「東陽堂」と名づけた。吾妻は米沢藩医の三男で、大学南校でワグネルに銅版彫刻を学んだ21歳だった。
  2. 1884

    • 農商務省地質調査所の『予察東北部地形図』の彫刻と印刷を成し遂げた。印刷局とは話がまとまらず、市内の有名な印刷業者も、初めての仕事で欧文の彫刻もあるため皆断ったのを、吾妻が引き受け、欧文は自ら彫刻した。1886年には色刷り十余版の『予察東北部地質図』も仕上げた。
  3. 1887

    • 美術雑誌『絵画叢誌』の出版を引き受けた。東洋絵画会の機関誌『東洋絵画叢誌』を引き継いで誌名から「東洋」を省いたもので、菅原白龍が編集に当たり、寺崎広業ら若い画家に挿絵の仕事を与えた。
  4. 1889

    • 2月、日本初のグラフィック雑誌『風俗画報』を創刊した。江戸時代の風俗の考証、各地の風俗、流行風俗を、石版画(のちに写真版)の挿絵で伝えた。
  5. 1894

    • 日清戦争を取り上げた特集号『日清戦争図絵』(第78号)で部数を伸ばした。編集を担っていた大橋乙羽が大橋家に入り、山下重民が編集を受け継いだ。
  6. 1896

    • 『風俗画報』の臨時増刊『新撰東京名所図会』の刊行を始めた(1909年までに64冊)。年頭の社員名簿には、この年から尾形月耕・寺崎広業・山本松谷(昇雲)が絵画部員として載り、1899年(明治32年)の名簿からは坂巻耕漁(月岡耕漁)の名も並ぶ。
  7. 1912

    • 10月26日、吾妻健三郎が57歳で没した。
  8. 1916

    • 3月、『風俗画報』が通巻478号、増刊を含めて518冊で終わった。

関連人物

  • 創業者・店主
    吾妻健三郎 1876〜

    1856〜1912年。米沢藩医の三男で、ワグネルに銅版画を学び、石版・銅版の印刷で身を立てた。『風俗画報』『絵画叢誌』の発行人

  • 『絵画叢誌』の編集
    菅原白龍 1887〜

    1833〜1898年。山形出身の南画家。『東洋絵画叢誌』を東陽堂が引き継いだ際に、誌名から「東洋」を省くことを発議し、編集に当たった

  • 編集者
    大橋乙羽 1888〜

    本名は渡部又太郎。磐梯山噴火の取材記事が吾妻の目に留まり、1888年9月に上京して入社した。『風俗画報』『絵画叢誌』を編集したのち博文館に移った

  • 編集
    山下重民 1894〜

    大蔵省に勤めるかたわら『風俗画報』の編集を受け継ぎ、町ごとに沿革を詳しく記す『新撰東京名所図会』を出させた。1913年に東陽堂を退いたと自伝にある

  • 編纂者
    野口勝一

    1848〜1905年。衆議院議員・ジャーナリストで、号は珂北。『風俗画報』の創刊期の執筆者で、東陽堂の名簿には編纂者として明治25〜38年に載る