円山応挙は、江戸時代の京都で、実物をよく見て描く「写生」を、屏風や襖の大きな絵に生かした絵師である。金刀比羅宮の襖に描いた鶴では、昔の絵が尾羽と取り違えがちだった翼の付け根の黒い羽と、白い尾羽とを描き分けた。 享保18年(1733年)、丹波国穴太村(今の京都府亀岡市)の農家に生まれ、少年のころ京へ出た。狩野派の流れをくむ画家、石田幽汀に入門する。
1776・絹本着色・掛幅
1786
1795
1771