少年の呉昌碩は印材を買えず、れんがに釘で文字を彫って篆刻を学んだ。清末から中華民国初めの画家・書家・篆刻家で、詩・書・画・篆刻に通じて「四絶」と称され、古代の文字で鍛えた筆を梅や牡丹の画にも生かした。 故郷は浙江の山村、鄣呉村である。17歳のとき、太平天国の乱の戦いを避けて父と村を離れたが、途中ではぐれ、安徽や湖北を5年さまよった。
1920・紙本墨書