中島来章は、鯉と鶉を得意とし、京都で「平安四名家」に数えられた円山派の絵師である。晩年のヤガラの図には、75歳の翁を意味する「七十五叟」と書き添えた。 寛政8年(1796年)、近江に生まれた。初めに学んだ渡辺南岳は、円山応挙の高弟だった。のちに、応挙の長男で円山派の2代目を継いだ円山応瑞の門に入る。
1868・絹本著色/掛幅
紙本淡彩・金砂子/四曲一隻屏風
1824・木版多色刷(摺物)
木版多色刷(摺物)