天保4年(1833年)、歌川貞秀は鰹節5本を手に、戯作者の曲亭馬琴を訪ねて挿絵の仕事を願い出た。横浜絵や、町と海岸を高みから見渡す一覧図で知られる貞秀は、物語の挿絵も早くから手がけていた。 文化4年(1807年)に生まれ、生地は下総国布佐(いまの千葉県我孫子市)とされる。本姓は橋本、通称は兼次郎という。
1862・木版(版本・三冊)
1860・木版多色刷(版本の見開き)
1873
1870・木版多色刷/六枚続の右端図
1869・木版多色刷/六枚続
1869
1868
1866・木版多色刷/三枚続