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歌川広重木曽海道六拾九次之内 洗馬
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昭和11年(1936年)、金井紫雲は柳の画題を解説した本で、柳を描いた広重の版画の中では《木曽海道六拾九次之内 洗馬》がいちばん興を惹くと書きました。庄野の竹林や唐崎の夜雨の図とともに、広重の作の中で「最上位に置くべきもの」と評しています。この図は、美人画で知られた渓斎英泉が天保6年(1835年)に始め、のちに広重が加わったシリーズの32番目です。英泉が24図、広重が46図を描きました。
舞台の洗馬は、今の長野県塩尻市にあった中山道の宿場です。大正3年(1914年)に『浮世絵と風景画』を書いた小島烏水は、絵の川を奈良井川と読みました。江戸時代には木曾川と呼ばれた川です。烏水によれば、手前の舟には薪が積まれ、奥では人が筏を下しています。遠くの黄色い形も、烏水は草むらからのぞく人家の屋根と読みました。
この摺りでは、月の下半分に細い雲が掛かっています。月を雲がかすめる高原の夜に、烏水は水を浴びせられたような寒さをおのずと覚えると書き、後の版ではその雲が払われたとも記しました。









