
Public domain
歌川国貞(三代目歌川豊国)両国橋の納涼
0
竪大判三枚続のうちの一枚である。米国議会図書館は制作を1818年から1830年のあいだとする。「両国橋の納涼」という題は摺られたものではなく、2005年から06年にかけて国際日本文化研究センターの依頼を受けた江戸版画の専門家が付けた、内容を説明するための題である。
両国の花火は、川開きから始まる納涼の期間の初日に、花火師の鍵屋と玉屋が自分たちの花火を宣伝するため盛大に打ち上げたのが始まりだった。享保18年の飢饉の死者を弔うために始まったという話は、明治の半ばから昭和の初めにかけて少しずつ作られたもので、江戸時代の文献には出てこない。
玉屋は天保14年(1843年)、将軍の御成りの前夜に火を出して所払いとなり、江戸から消えた。
作家プロフィール

歌川国貞(三代目歌川豊国)
幕末の江戸で「浮世絵師」と言えば、まずこの人を指した。歌川国貞(1786〜1865)、のちの三代目豊国。生涯の作画量は一万点をゆうに超えるとされ、質はともかく量において、浮世絵史上に並ぶ者はいない。本所五ツ目の渡船場の株を持つ家に生まれ、十代で初代歌川豊国に入門。若くして役者絵の似顔の巧さで頭角を現した。 真骨頂は役者絵である。
プロフィールを見る







