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小林清親日本万歳百撰百笑 埋へ工夫
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明治37年(1904年)2月から5月にかけて、日本海軍は旅順港の入口に古い商船を沈め、ロシアの旅順艦隊を港に閉じ込めようとした。旅順口閉塞作戦と呼ばれ、三度試みられたが、港を十分にふさぐには至らなかった。この図はその作戦を笑いの種にした一枚で、大きな顔の口元に「旅順口」と書かれている。
題は「埋へ工夫」で、「うめへくふう」と振り仮名がある。詞書は骨皮道人の作で、「口は禍ひの門」という諺から始まり、役に立たない船を四五艘打ち込めばよいという掛け合いを経て、露艦の「ア、口惜い」で終わる。骨皮道人は西森武城の筆名である。
『日本万歳百撰百笑』は清親の画に骨皮道人の文を添えた揃物で、同じ題の揃物は日清戦争中の明治27年(1894年)にも出ている。この図の刊記は明治37年5月の印刷で、三度目の閉塞作戦が5月2日夜に行われたばかりだった。発行者は日本橋区吉川町の松木平吉である。









