姫路藩主酒井家の次男として生まれ、何不自由ない部屋住みの身でありながら、俳諧、狂歌、能、浮世絵と手当たり次第に江戸の風雅に耽った人である。武家の跡取りになれない次男坊の屈託が、逆に彼を専門の絵師にはない自由さへ押し出したふしがある。三十七歳で出家し、等覚院文詮暉真と名乗って根岸に雨華庵を構えてからも、生活は僧というより趣味人のそれに近かった。
1800
1810
1820
1794
1800–1828・紙本金地着色/二曲屏風
1821