貧しい御家人の家に生まれた男が、武家勤めの窮屈さを嫌って家督を弟に譲り、隠居の身で絵筆一本に賭けた——蹄斎北馬(1771〜1844)の出発点はそこにある。本姓は有坂、俗称を五郎八、諱を光隆といい、一説に星野氏とも伝わる。神田に住み、のち下谷三筋町から二長町へ移り、七十四の生涯を全うするまで一貫して市井の絵師であり続けた。
1839
1805–1808・木版多色刷/長判摺物
1800–1833・木版多色刷/摺物裁断
木版多色刷/摺物
1815–1825・木版多色刷/色紙判摺物
1801–1818・木版多色刷/九ツ切判摺物