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歌川広重東海道五十三次(保永堂版) 34 二川 猿ヶ馬場
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二川宿の手前の猿ヶ馬場は、名所らしい名所のない原野で、広重は旅の道連れだけを動くものとして置いた。瞽女は三味線を弾いて村々を回った盲目の女芸人で、街道の旅人の一種である。
保永堂版『東海道五十三次』の一図。天保5年(1834年)頃、日本橋の保永堂(竹内孫八)が出した全55図の揃物で、初めは仙鶴堂との合版だった。広重が天保3年に幕府の八朔御馬献上の一行に加わって東海道を歩いたという通説があるが、『東海道名所図会』から構図を借りた図が多いことから疑う説もある。









