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四

四代目歌川広重

よだいめ うたがわ ひろしげUtagawa Hiroshige IV
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浮世絵の巨匠の名跡を継ぎながら、その筆をほとんど版画に向けなかった――四代目歌川広重(1849〜1925)ほど、襲名の意味を静かに裏切った絵師も珍しい。本名は菊池貴一郎、蘆廼葉散人と号した。江戸末に医家・田中家に生まれ、のちに芝増上寺の掃除番を務めた菊池家の養子となった、いわば町場の記憶を体に沁みこませた人である。

書は御家流に学び、絵は円山・四条系の歴史画家菊池容斎に師事、儒者東条琴台にも教えを受けたと伝わる。二代目広重の指導を仰いだともいわれる。広重家との血縁はない。三代目の没後、安藤の画統は途絶えかけていた。これを惜しんだ三代目広重の未亡人や玩具蒐集家清水晴風らのはたらきかけで、明治44年(1911年)に四代目を襲名する。名跡の継承というより、消えゆく系譜への追善に近い襲名だった。

初期こそ文明開化の風俗を写した開化絵や武者絵を版に起こしたが、やがて彼は錦絵の職人であることをやめ、書家へ、そして記録者へと転じる。ここに四代目の本領がある。明治38年、東陽堂から刊行した《江戸府内絵本風俗往来》二巻は、幕末に自らが見た江戸の年中行事・物売り・子どもの遊び・盛り場のさざめきを、絵と文で丹念に綴った一書である。二百八十余の人物が紙面に息づき、写真も映像も残さぬまま失われた都市の肌ざわりを、記憶だけを頼りに救い出した。歌川派の華やかな役者絵や名所絵とはまるで別種の、しかしまぎれもなく貴重な仕事だ。大正2年には《江戸の花》を世に問うている。

広重を名乗る絵師は、こののち五代まで続いた。錦絵の黄金期を過ぎた時代に生まれ合わせた四代目は、絵師としての栄光より、江戸という消えた世界の証人であることを選んだのである。

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