期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
春江斎北英

春江斎北英

しゅんこうさいほくえいShunkōsai Hokuei
1 作品

道頓堀の芝居小屋で役者が見得を切る——その一瞬を大判の紙面に閉じ込めた絵師がいる。春江斎北英、のちに春梅斎北英と号した大坂の上方浮世絵師である。生没年ははっきりせず、天保8年(1837年)に世を去ったとだけ伝わる。筆をとったのは文政11年(1828年)頃から没年までのわずか九年ほど。その短い活動期に大判の役者絵をおよそ百五十点も世に送り、天保期の上方浮世絵を支えた中心的な描き手となった。

春好斎北洲に入門し、師の号から一字を継いで「春江」「春江斎」を名乗る。天保4年(1833年)以降は「春梅斎」に改め、春梅亭・雪花楼・春陽斎とも号した。師の北洲は、大坂に滞在した葛飾北斎の画風に学んで北の一字を得た絵師で、その系譜に連なる北英もまた、役者の面貌をぎりぎりまで凝視する眼を受け継いでいる。「春好三代」を継ぐ立場にもあった。

北英が繰り返し画中に据えたのは、上方随一の人気を誇った役者・二代目嵐璃寛である。無地に近い背景に人物ひとりを大きく孤立させ、見得の緊張だけを画面に張りつめさせる——その大胆な構図が北英の真骨頂だった。彫と摺の技巧を凝らした摺物形式の役者絵には、背景にまで神経の行き届いた秀作が多く、代表作《夏祭浪花鑑》はその力量をよく示す。絵入根本『敵討浦朝霧』『いろは仮名四谷怪談』の挿絵も残した。役者の顔と身ぶりを大判の画面に破綻なく収めきる手わざは終始巧緻で、この量をまとめた仕事ぶりを底で支えている。

同時代の柳斎重春と並んで文政・天保期の役者絵を牽引し、門下には春寿・北寿・北雪・北信・北西・北妙らが集まった。作は早稲田大学演劇博物館、ブルックリン美術館、ビルバオ美術館などに収まる。天保8年刊の役者評判記に没年が書き留められたことは、その死が惜しまれるほどの人気を当時得ていたことをうかがわせる。同じ「北英」を名乗る江戸の桃幸園北英とは別人である。

春江斎北英の作品をお持ちですか?

Cugiraで出品してみませんか?

出品する
1件