
橋本雅邦
はしもとがほうHashimoto Gahō
7 作品
川越藩士の家に生まれ、江戸の狩野派塾で学んだ少年時代、隣の机に並んでいたのが同い年の狩野芳崖だった。二人はともに木挽町狩野家、狩野勝川院雅信の門を叩き、絵の腕を競い合う。だが幕府が倒れると狩野派の仕事はほぼ消え、雅邦は海軍兵学校で図面を描いたり、博覧会の下請け仕事をこなしたりしながら糊口をしのぐ、長く不遇な時期を過ごした。
転機はフェノロサとの出会いだった。日本美術の価値を説くこのお雇い外国人と、若き岡倉天心が結成した鑑画会に招かれ、雅邦は狩野派の筆法に洋画の陰影や空間表現を取り込む実験を始める。明治22年、東京美術学校が開校すると初代の絵画科主任教授に迎えられ、横山大観、下村観山、菱田春草といった後の日本美術院を担う俊英たちを直接指導した。岡倉が校長を追われて日本美術院を旗揚げした際も迷わず同行し、晩年まで後進を支え続けている。
代表作白雲紅樹は、山肌を這う雲と紅葉した木々を大和絵ふうの装飾性と西洋画の遠近感で描き分けた一枚で、旧来の狩野派の型を破りながらも品格を失わない画境を示す。龍虎を描かせても、荒々しさより静かな気迫が漂う。技巧は徹底して古典に根ざしながら、常に新しい表現へ手を伸ばし続けた——その姿勢そのものが、大観たちへ手渡された最大の遺産だった。
橋本雅邦の作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?
7件











