
ジョット・ディ・ボンドーネ
フィレンツェ近郊の田舎で、羊の番をしながら石で絵を描いていた少年をチマブーエが見出した、という逸話がヴァザーリの『芸術家列伝』に残る。真偽はともかく、この話が語り継がれてきたこと自体が、ジョットという画家の登場がどれほど劇的な断絶だったかを物語っている。それまでのイタリア絵画はビザンティン様式の平板な聖像画が主流で、人物は宙に浮くように様式化されていた。ジョットはそこに重さと奥行きを持ち込んだ人物だ。
代表作《スクロヴェーニ礼拝堂壁画》(パドヴァ、1305年頃)を見れば一目瞭然だろう。キリストの生涯とマリアの物語を描いたこの連作で、人物ははっきりとした量感を持ち、衣のひだの下に身体の存在を感じさせる。死せるキリストへの哀悼の場面では、亡骸に取りすがる人々の悲しみが、大仰な身振りではなく俯いた肩や握りしめた手の描写から静かに伝わってくる。感情を「記号」ではなく「人間の動作」として描いた、これがルネサンスの先触れと呼ばれる所以だ。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂上堂に伝わる《聖フランチェスコ伝》の連作壁画も、伝統的に彼の名と結び付けられてきた(工房制作を含め帰属には議論もある)。鳥に説教する場面での鳥たちの生き生きとした群れの表現などは、自然観察に根ざした新しい絵画観の証しだ。
同時代の詩人ダンテは『神曲』煉獄篇で、チマブーエの名声もいまやジョットに奪われたと記した。同時代人がすでにその革新性を認めていた証拠である。フレスコ画だけでなく、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂内の礼拝堂装飾や、大聖堂の鐘楼(ジョットの鐘楼)の設計にも携わり、晩年は建築家としても名を馳せた。彼の絵画がなければ、一世紀後のマサッチオによる遠近法革命もまた違った形になっていただろう。イタリア絵画が「見た通りの世界」を描き始めた、その最初の一歩がここにある。
ジョット・ディ・ボンドーネの作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?










