吉備真備・和気清麻呂・善之丞
月岡芳年の皇国二十四功には、武将だけでなく、学者や役人、孝行息子も登場する。二十四図を貫くのは、合戦で挙げた手柄だけではない。難題を解くこと、権力者に都合の悪い事実を告げること、失意の中で祈ること、父を救うために異界へ赴くことも「功」として選ばれている。
吉備真備、和気清麻呂、善之丞の四人は、刀を振るうことなく名を残した人々である。
唐で難題を解いた吉備真備
吉備真備(きびのまきび)は、奈良時代に遣唐留学生として唐へ渡った学者・政治家である。帰国後は朝廷に仕え、右大臣まで昇った。
芳年の絵の背景にあるのは、史実の経歴に加え、吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)などで語られた伝説だ。
物語の真備は唐で高楼に閉じ込められ、『文選(もんぜん)』の知識や囲碁の勝負といった難題を課される。彼を助けるのは、唐で亡くなり、鬼となった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の霊だった。真備は仲麻呂から唐人たちの企てを聞き、知識と機転を使って試練を切り抜ける。
芳年の画面でも、真備は武器を持たず、机を前に座っている。異国の人々が仕掛けた勝負に、学問で応じる場面である。
宇佐から神託を持ち帰った和気清麻呂
和気清麻呂(わけのきよまろ)が皇国二十四功に選ばれた理由は、769年の宇佐八幡神託事件にある。
当時、僧の道鏡を皇位に就ければ国が安泰になるという神託が伝えられた。称徳天皇は、その真偽を確かめるため、清麻呂を宇佐八幡へ派遣する。
清麻呂が受けた神託は、道鏡の期待とは反対の内容だった。皇位には皇族を立て、道に背く者を退けるべきだというのである。
都へ戻った清麻呂は、聞いた内容をそのまま奏上した。道鏡の怒りを買い、名を変えられたうえ、大隅国(おおすみのくに)へ流される。それでも、神託を道鏡に都合のよい内容へ書き換えることはしなかった。
しかし翌年、称徳天皇の崩御によって道鏡が失脚すると、清麻呂は都へ呼び戻された。その後は朝廷の官人として復帰し、のちに平安京の造営にも携わっている。
芳年が描いたのは、清麻呂が宇佐で神の言葉を受ける場面である。都へ戻れば何が起こるのか、まだ分からない時点の姿だ。
父を救おうとした善之丞
信濃国の孝子善之丞には、閻魔王(えんまおう)と鬼、そして人の罪を映す浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)が描かれている。
善之丞(ぜんのじょう)は、病に苦しむ父を救おうとした孝行息子である。物語では、父の平癒を願って寺社を巡り、地蔵菩薩の導きによって地獄や極楽を訪れる。
閻魔王の前で善之丞が見せられたのは、父が過去に犯した罪だった。それでも父を見捨てず、許しを願い続ける。善之丞が恐ろしい異界へ赴いたのは、自分が救われるためではない。
作品の題には「信濃国」とあるが、善之丞を奥州伊達郡の人物とする伝本も残されている。話が伝わる中で、人物の出身地が変わった可能性がある。
吉備真備は知識を使い、和気清麻呂は聞いた言葉を曲げず、菅原道真は山上で祈った。善之丞は、父の罪を知っても救うことを諦めなかった。《皇国二十四功》では、こうした行いも武将の働きと並べて描かれている。

月岡芳年
Tsukioka Yoshitoshi
1839–1892
