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狩野探幽雪中梅竹鳥図
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狩野探幽の代表作《雪中梅竹鳥図》は、何も描かないところまで絵の一部にした襖絵だ。33歳の探幽が、描くものを減らし、余白を生かす画風へ移るころ、名古屋城で3代将軍の徳川家光の宿を飾るために描いた。
その変化は、祖父狩野永徳の梅を手本にした構図に表れている。美術史家の榊原悟は、永徳の梅が画面の端で断ち切られるのに対し、探幽は枝を襖の内側に収めた点に着目した。枝は枠に届く前に向きを変え、その枝先が指す左の余白を尾長鳥が飛ぶ。
梅の枝には、姿の分からなくなった鳥もいる。右から2面目で胴体が失われ、尾羽だけが残る鳥だ。復元された本丸御殿には、名古屋市が作ったこの襖の写しがはめ込まれている。写しでは、江戸時代の名古屋城の記録に「雉子」とあることと、同じころに描かれたほかの絵をもとに、この鳥を雉子として描き足した。一方、鳥類学者の樋口広芳は、残った尾の形と模様から、ヤマドリの可能性を指摘している。どちらだったのかは分かっていない。
- Genre
- Japanese & Asian
- Work Type
- Painting
- Technique
- 紙本墨画淡彩金泥引・襖4面(各191.3×135.7cm)
- Year Created
- 1634
- Dimensions
- 191.3 cm
Artist profile

狩野探幽
狩野探幽(1602〜1674)の「探幽縮図」には、原画が失われた古い絵の姿が残る。江戸幕府の御用絵師として狩野派を率い、城や寺院を飾った画家で、描かない余白まで景色の続きに見せる画風で知られる。 京都に生まれ、名は守信。父は狩野孝信、祖父は桃山時代の絵画を代表する狩野永徳だった。
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