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ウジェーヌ・ドラクロワキオス島の虐殺
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1822年4月、ギリシャ独立戦争のさなかに、オスマン帝国軍がエーゲ海のキオス島を襲った。住民およそ2万人が殺され、生き残った7万人のほとんどが奴隷として連れ去られた。ドラクロワは前年の手紙で、独立戦争の一場面を描いてサロンで名を上げたいと書いており、1823年5月にこの虐殺を描くと決めた。
1824年のサロンには「キオス島の虐殺の諸場面 死か隷属を待つギリシャの家族」の題で出品された。同じ部屋にはアングルの《ルイ13世の誓い》が掛かり、二人の対立が公に知られるきっかけになった。画家グロはこの絵を「絵画の虐殺」と呼んだ。それでも国は同じ年に6000フランで買い上げ、ドラクロワは二等メダルを受けた。
ドラクロワは、パリの画商の店でイギリスの画家コンスタブルの風景画を見て、背景を描き直したと長く言われてきた。2019年10月から翌年1月の修復では、後から塗り重ねた跡がほとんど見つからず、この通説は疑わしくなった。
- Work Type
- Painting
- Technique
- 油彩・カンヴァス
- Year Created
- 1824
- Dimensions
- 419 × 354 cm
Artist profile

ウジェーヌ・ドラクロワ
《サルダナパールの死》が批評にこぞって退けられたあと、ウジェーヌ・ドラクロワは美術監督官から作風を変えるよう求められたが、断った。強烈な色彩と動きのある構図でフランスのロマン主義を代表し、《民衆を導く自由の女神》《キオス島の虐殺》で知られる画家である。 1798年、パリ近郊のシャラントン=サン=モーリスに生まれた。
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