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岸田劉生Pumkin
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油彩ではなく紙に描かれた日本画で、右上に朱の落款。
劉生は1923年の関東大震災で東京を離れて京都に移り、宋元画や初期の肉筆浮世絵を集めて見るうちに、日本画を描くようになった。このころの劉生は「卑近美」「でろり」という言葉で、洗練よりも泥臭い生々しさを求めている。野菜を大きく一つ置くこの構図は、油彩の写実から離れて、東洋画の平面で静物を作り直したものである。
岸田劉生(1891〜1929)は1929年に満州を旅行し、帰国直後に徳山で38歳で没した。この図はその三年前の作である。
- Work Type
- Painting
- Year Created
- 1926
Artist profile

岸田劉生
岸田劉生は銀座に生まれた。父は「精錡水」で財を成した実業家にして新聞人、岸田吟香。裕福な家で育ちながら早くにキリスト教へ傾倒し、やがて画業へ舵を切って黒田清輝の白馬会に学ぶが、そこで教わった穏当な外光派には長くとどまらなかった。二十歳そこそこで飛び込んだのはフュウザン会、セザンヌやゴッホの荒々しい筆致に憑かれた一時期だ。
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