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ウィレム・デ・クーニング

ウィレム・デ・クーニング

Willem de Kooning
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ウィレム・デ・クーニング(1904〜1997)は、戦後アメリカの抽象表現主義を担った画家である。絵の具を塗っては削り、人物と抽象のあいだを行き来しながら、何度も描き直した。抽象画で名を上げながら人間の姿を描くことにもこだわり、その女性像は大きな論争を呼んだ。

オランダのロッテルダムに生まれ、12歳で商業美術と室内装飾の会社の徒弟となった。働きながら夜間の美術学校に通い、1926年には船に忍び込んでアメリカへ渡る。ニューヨークでは塗装や大工仕事、ショーウィンドウのデザインで生計を立てた。画家のアーシル・ゴーキーと親しくなり、二人でパブロ・ピカソの絵から刺激を受けている。

1935年には連邦美術計画の壁画部門に参加した。アメリカの市民権がなかったため2年足らずで離れたが、この経験が絵に専念する決心のきっかけになった。初個展を開いたのは1948年、44歳のときである。黒と白を中心とする抽象画を並べ、批評家クレメント・グリーンバーグから好意的な批評を受けた。

1950年の《発掘》は、それまでに描いたなかで最大の作品だった。着想のもとになったのは、イタリア映画『にがい米』に登場する、田で働く女たちの姿である。翌1951年にはシカゴ美術館が買い上げた。

ところが、同じ1950年に取りかかった《女I》は、完成まで2年を要した。何枚もの習作を作り、絵の具を重ねては削り、女性の姿を繰り返し描き直した。習作の顔には、たばこの広告から切り抜いた笑う口まで貼り付けている。完成作ではその切り抜きを外し、口を絵の具で描いた。描こうとしたのは特定の誰かではなく、女性の型や偶像だった。

1953年に「女」の連作を発表すると、人物像への回帰を抽象表現主義の原則への裏切りと受け取る人もいた。グリーンバーグの支持は失ったが、批評家ハロルド・ローゼンバーグの評価は変わらなかった。同年6月にはニューヨーク近代美術館が《女I》を買い上げている。

1950年代後半からは女性像に風景が重なり、都市や田園を思わせる抽象画へと仕事が広がった。1963年にロングアイランドのイースト・ハンプトンへ移り、土地の光や風景に故郷オランダを思い出した。1970年には日本を訪れ、イサム・ノグチと過ごしている。大阪の国立国際美術館が所蔵する《水》も、この年の作品である。

1980年代に入ると画面は簡潔になったが、そこにも磨き、描き重ね、削り取る作業があった。最晩年はアルツハイマー病に苦しみ、1991年を最後に絵の制作をやめた。1997年、イースト・ハンプトンの自宅で92歳で世を去った。

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