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歌川国直

歌川国直

うたがわくになおUtagawa Kuninao
12 Artworks

歌川国直は、式亭三馬の合巻や滑稽本に数多くの挿絵を描き、遠近法を強調した浮絵も手がけた江戸後期の浮世絵師である。渓斎英泉の「無名翁随筆」には、同門の歌川国芳が若いころ国直の家で「塾生の如く」学んだとある。

信濃国に生まれ、本姓は吉川、俗称は鯛蔵、のちに四郎兵衛といった。兄は戯作者の春亭三暁。英泉によれば、はじめは「明画」を学び、葛飾北斎の画風も好んだ。文化6年(1809年)頃、初代歌川豊国の門人になったとされる。

文化9年(1812年)、三馬の合巻「昔語丹前風呂」の挿絵を描いた。この本で三馬は、国直を「当年十八才のわかもの」と紹介し、「初ぶたいの御目見へ」と口上を寄せた。師の豊国も「すゑ/\ハ大だてもの」になるよう、引き立てを頼んでいる。国直を推挙して取り立てた三馬は、「浮世床」や「浮世風呂」にもその画を用いた。英泉は、その後の国直が錦絵や読本を多く出し、歌川国貞(三代目歌川豊国)と並んだと記している。

国芳が国直の家に住み込んだのは文化年間のことだった。英泉によれば、国芳はそこで板刻の画を学び、取り合わせの器財や草木まで国直の筆づかいにならった。国芳が北斎を慕ったのも、国直の画風を通じて学んだためだという。

飯島虚心は、豊国の門人のうち師風をよく守ったのは歌川国安、師風を離れて一派を起こそうとしたのは国直と評し、二人の腕に優劣はないとした。

英泉は、国直が独自の画風を立てるため、しばらく版本の仕事をやめたとも記している。ただし、日本古典籍総合目録には文政年間の国直画の版本が51点載る。天保4年(1833年)には、為永春水の人情本「春色辰巳園」初編を描き、その後は人情本の挿絵が仕事の中心になった。同目録に載る国直画の版本は219点で、合巻121点、人情本49点がその多くを占める。

錦絵では美人画、役者絵、風景画を描いた。上野寛永寺を題材にした新版浮絵 東叡山之春景や、「仮名手本忠臣蔵」を各段の浮絵にした連作の浮絵忠臣蔵 四段目もある。肉筆の美人画を残し、艶本も手がけた。

仕事の丁寧さを伝える逸話も残る。夷講に掛ける恵比寿の一枚絵は、使い終えると子どもが破り捨てるような粗末なものだった。国直はそれさえ下絵から丁寧に描いたため、彫師は「田所町の夷か」と頭を掻いたという。田所町は国直の住んだ町である。

嘉永元年(1848年)から筆を執らなくなり、晩年は八王子に移った。嘉永7年(1854年)6月28日に没し、八王子横山の極楽寺に墓がある。生年には寛政7年(1795年)説と寛政5年(1793年)説がある。

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