
酒井抱一
姫路藩主酒井家の次男として生まれ、何不自由ない部屋住みの身でありながら、俳諧、狂歌、能、浮世絵と手当たり次第に江戸の風雅に耽った人である。武家の跡取りになれない次男坊の屈託が、逆に彼を専門の絵師にはない自由さへ押し出したふしがある。三十七歳で出家し、等覚院文詮暉真と名乗って根岸に雨華庵を構えてからも、生活は僧というより趣味人のそれに近かった。
傾倒したのは、当時すでに過去の人となっていた尾形光琳だった。光琳の没後およそ百年、直接教えを受けることは叶わなかったが、遺墨を蒐集し、手本を模写し、ついには『光琳百図』を編んで光琳の画業を世に知らしめた。私淑という言葉がこれほど似合う画家も少ない。ただし抱一は光琳の写しに終わらなかった。光琳・宗達に続く「江戸琳派」と呼ばれる一派を実質的に立ち上げ、上方で育った装飾様式を江戸の空気に合わせて再構築した。
代表作夏秋草図屏風は、光琳の《風神雷神図屏風》の裏面に描かれた作品として知られる。表の神々の激しい動勢に対し、裏には夏草が雨に打たれ、秋草が風になびく静かな情景を配した。表裏で四季と時間の推移を暗示するこの発想は、模写を重ねた末に光琳を乗り越えようとした抱一の到達点と言っていい。金地に映える銀の技法や、余白を生かした構図には、光琳譲りの装飾性と、抱一自身の抒情的な自然観がないまぜになっている。
谷文晁ら同時代の絵師とも交わりながら、独自の画塾的な集まりを雨華庵に築き、弟子の鈴木其一へと様式を伝えた。琳派が一度途絶えかけた系譜を、江戸の地で新たに接ぎ木した功績は大きい。装飾画でありながらどこか涼しい抒情を湛えた抱一の草花図は、今も琳派といえばまず思い浮かぶ顔のひとつになっている。
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