
池田満寿夫
いけだ ますおMasuo Ikeda
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東京藝術大学の入学試験に、三度はねられた。油絵科で二度、彫刻科で一度。長野で育った二十歳前後の池田満寿夫(1934〜1997)は、それきり美術の学校をあきらめ、銅版画の技法をほとんど独りで手さぐりに覚えていく。満洲・奉天に生まれ、敗戦で引き揚げてきた青年に、正規の後ろ盾はなかった。
二十代のなかば、宮崎から出てきた画家瑛九が、色彩銅版画をやってみないかと勧めた。エッチングの講習会に顔を出しはしたが、教わった手順にはおさまらず、結局は自己流を押し通す。ドライポイントの針が銅板をひっかいて残すささくれ立った線に、メゾチントの深い黒を重ね、そこへ淡く多彩な色をずらしてのせる。描かれるのはたいてい女の裸体で、ファッション誌やポルノ誌の頁を素材に、官能とおどけが同居する画面をつくった。
三十歳を過ぎた頃から評価は一気に外へ広がる。1965年、ニューヨーク近代美術館で個展。翌1966年、三十二歳でヴェネツィア・ビエンナーレの版画部門国際大賞を受け、棟方志功に続く日本の版画家として名を知られた。
仕事は版画にとどまらない。1977年、小説《エーゲ海に捧ぐ》で芥川賞を画家として初めて受け、二年後には自らその映画版を監督している。1983年からは陶芸に深く入り込み、晩年は般若心経に取材した造形やブロンズへと向かった。作品は長野市の池田満寿夫美術館、三重のパラミタミュージアム、京都国立近代美術館などに収められている。
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