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棟方志功

棟方志功

むなかたしこうMunakata Shiko
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右眼の眼鏡が板木に触れるほど顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら、棟方志功は板を彫った。左眼はいつのまにか見えなくなり、残る右眼も極度の近視。だからこそ細部を見きわめようとはせず、線は勢いにまかせて太くうねり、迷いがない。刀の走った跡がそのまま画面に残る。

1903年、青森市の刃物鍛冶の家に生まれた。少年のころゴッホの向日葵に打たれ、「日本のゴッホになる」と油彩を志して1928年に帝展入選までこぎつける。その手が彫刻刀に持ちかわったのは、川上澄生の木版《初夏の風》を見て胸を突かれたから。1927年から版画家の平塚運一につき、木の板へと表現の場を移していった。

世に出たのは1936年、国画会展に出した大作《大和し美し》である。この屏風が柳宗悦や河井寬次郎、濱田庄司ら民藝の面々の目に留まり、以後の棟方は木版一筋に打ちこむ。刷るのではなく板に絵が生まれるのだ、と言って自作を「板画」と呼び、一点ずつの題には「柵(さく)」の字をあてた。四国巡礼の納札のように、願をかけて彫るという心づもりからだった。仏や菩薩、豊かな肢体の女人像が、荒い白黒の線でひといきに刻まれる。1939年の《二菩薩釈迦十大弟子》は十人の弟子が板いっぱいにひしめく代表作となった。

戦火を避けて1945年から富山県福光に疎開し、浄土真宗の土地の空気のなかで書家・大澤雅休と交わり、墨の書にも本腰を入れた。1955年サンパウロ、翌年ヴェネチアのビエンナーレで版画部門の最高賞を続けて手にし、《湧然する女者達々》が国際版画大賞に輝く。1970年、文化勲章。故郷のねぶたを毎年のように追いかけ、ベートーヴェンの第九を題に選んだのも、この彫り手らしい。

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