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カジミール・マレーヴィチ

カジミール・マレーヴィチ

Kazimir Malevich
7 Artworks

1913年、モスクワの舞台美術のためにマレーヴィチが描いた黒い四角形は、まだ稽古の小道具にすぎなかった。だが2年後、その形はカンヴァスの中央にただ一つだけ置かれ、黒の正方形として発表される。絵の中に何も描かない、という宣言だった。ポーランド系の家に生まれ、ウクライナの製糖工場の町を転々として育った少年が、モスクワで絵を学び始めた頃はまだ印象派の色面を追いかけていた。やがてミハイル・ラリオーノフやナタリア・ゴンチャロワらと歩みをともにしながらキュビスムと未来派を吸収し、そこからさらに先へ進む道を自分で切り拓いてしまう。1915年の展覧会「0.10」で発表したシュプレマティスム(絶対主義)は、対象を描くことをやめ、正方形・円・十字といった純粋な形と色だけで絵を成り立たせる試みだった。壁の隅、宗教画を飾る位置に黒い四角を掲げたのは、絵画の神を挿げ替えるという本気の宣言でもある。1918年の白の上の白では、ついに色さえも輪郭の中に溶け込ませ、絵画が到達しうる沈黙の果てを示した。革命後はヴィテブスクの美術学校で教鞭を執り、マルク・シャガールの後を継いで校長となる。ここで出会った教え子エル・リシツキーは、シュプレマティスムの幾何学を建築やデザインへと展開させ、後の構成主義の橋渡し役になった。しかし1920年代末、スターリン体制のもとで抽象芸術は「ブルジョア的形式主義」として弾圧され、マレーヴィチは農民を描く具象画へと後退を強いられる。晩年に描いた肖像画の一部には、右下や左下にひっそりと小さな黒い四角のサインが添えられていた。屈服しながらも、自分がどこから来たかだけは絵の隅に刻み続けた。1935年、レニングラードでがんのため死去。棺は彼自身がデザインした四角い箱で、蓋には黒い正方形が描かれていたという。

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