
鳥橋斎栄里
ちょうきょうさいえいりChōkyōsai Eiri
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黒く沈んだ雲母摺の地から、男の半身がぬっと浮かび上がる。戯作者にして絵師でもあった山東京伝――遊女や芸妓の整いすぎた顔とは違い、そこには皺も骨張った顎も、生身の男の顔がある。鳥橋斎栄里という寡作の絵師が江戸の版画に残したのは、こうした似顔の大首絵だった。
栄里が活動したのは寛政期、おおよそ1795年から1800年頃までのわずかな期間にすぎない。美人画の名手鳥文斎栄之の門に学び、栄之一門では鳥高斎栄昌と並ぶ弟子に数えられる。だが生没年も本名も伝わらず、現存する作は五十点に満たない。署名の多くは「栄里戯画」。近年には同名で別字を用いる絵師がもう一人いたという説もあって、その人物像はいまだ像を結ばない。
それでも名が消えないのは、雲母を敷いた大首絵の一群による。師ゆずりの細く端正な線で遊女の半身を写す一方、山東京伝や浄瑠璃の二代目富本豊前掾といった実在の人物へも筆を向け、型どおりの美人像から一歩踏み出した。暗い雲母地に半身をくっきりと浮かせるこの見せ方は、同じ頃喜多川歌麿が流行らせた大首絵と響き合いながら、栄之派らしい気品を手放さない。
代表作の一つに《郭中美人競》がある。栄之門下が手分けして高位の遊女を描いた連作で、知られる二十四図のうち栄里が受け持ったのは三図だけ。鶴屋の遊女かしくを灰がかった雲母地に配したその一枚を見れば、わずかな作しか残さなかった絵師がなぜ記憶され続けるのかが、なんとなく腑に落ちる。
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