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鳥高斎栄昌

鳥高斎栄昌

ちょうこうさいえいしょうChōkōsai Eishō
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寛政の江戸、美人大首絵の版面は喜多川歌麿の独壇場に見えた。その真横で、雲母摺の銀灰色を背に一人の遊女を縦長の半身に据え、堂々と競り合った絵師がいる。鳥高斎栄昌(ちょうこうさい えいしょう)である。松栄堂とも号し、生没年は伝わらず、活動の大半は寛政四年(1792年)から十一年(1799年)頃までの、およそ十年に凝縮される。

栄昌は旗本出身の絵師鳥文斎栄之の門に入った。栄之門下は栄里・栄雨ら多くの弟子を擁したが、そのなかで最も多く版画を残したのが栄昌で、現存作は約二百点――同門随一の多作家である。師ゆずりの、細身で丈高く、指先まで気品の通う遊女像を受け継ぎながら、栄昌はそこに歌麿とは質を異にする張りと生気を吹き込んだ。うつむく歌麿の官能に対し、栄昌の女はまなざしを正面に据えて、こちらを静かに見返してくる。

この絵師の名を刻むのが揃物《郭中美人競》(1795〜97年頃)である。吉原に実在した遊女を一人ずつ大首に描いた全二十四図のうち、二十図を栄昌が手がけた。雲母摺の輝きが人物の輪郭を浮かび上がらせ、遊女の名も画中に記されて、絵は当時の宣伝ブロマイドとしても機能した。山口屋忠助ら十四の版元と組み、少なくとも二十を超える揃物を送り出している。

栄昌は挿絵本も手がけ、肉筆はごくわずかに伝わる。後年、老いた師鳥文斎栄之の姿を描いた絵巻が残るものの、なぜ1801年頃を境に版画の筆を折ったのか、その理由は記録に残されていない。師の背を見送るように、江戸の版面から静かに退いていった。

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