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寺崎広業秋苑
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広業が東京美術学校の助教授に迎えられた翌年、33歳のときの掛幅。東京国立博物館の解説によれば、芭蕉・萩・菊が画面に秋の気配を満たし、少女の容姿は当時、雑誌の口絵などで大流行した「当世の美少女」の典型である。幼い少女とも、編み物をしながら恋心を寄せる年頃の娘ともみえる、不思議な描き方だと同館は書いている。
広業は秋田から上京したのち、日光の旅館に身を寄せて美人画で名を挙げ、東陽堂の『絵画叢誌』で挿絵を描きながら諸派の名画を模写した。
- Genre
- Japanese & Asian
- Work Type
- Painting
- Technique
- 絹本着色/掛幅
- Year Created
- 1899
- Dimensions
- 170 × 99.9 cm
Artist profile

寺崎広業
絶筆となった《ヒマラヤ図》(1919)を描いていたとき、寺崎広業はすでに死病の床にあった。異父弟が耳鼻咽喉科医として最期の脈を取り、葬儀には三千人が会葬したという。慶応2年(1866)に秋田で生まれ、大正8年(1919)に五十二で世を去るまで、この画家は山水・歴史・人物・美人画・花鳥のいずれにも筆を届かせ、明治から大正にかけての日本画壇に太い一本の柱を立てた…
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