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山
山本芳翠Nude
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日本で裸体画がまだ珍しかった明治13年(1880年)ごろ、山本芳翠はフランスで《裸婦》を描いた。日本人による完成度の高い油絵の裸体画としては最初期の作品とされ、2014年には国の重要文化財に指定された。
当時の日本で、裸体画はどれほど珍しかったのか。芳翠が第1期生として入った工部美術学校では、1876年の開設時に裸体のモデルも使った。しかし裸体画はまれで、服を着た姿や顔だけを描くことが多かった。モデルを絶えず使うようになったのは、1896年に東京美術学校に西洋画科ができてからだった。
芳翠は1878年にフランスへ渡り、パリの国立美術学校で古典派の画家ジャン=レオン・ジェロームに学んだ。芳翠の勧めで画家になった黒田清輝は、のちにパリの画学校ではふだんの稽古が裸体画ばかりで、自分も5年ほど描いたと語っている。
- Genre
- Japanese & Asian
- Work Type
- Painting
- Technique
- 油彩・カンヴァス
- Year Created
- 1880
- Dimensions
- 83 × 134 cm
Artist profile
山
山本芳翠
山本芳翠(やまもと ほうすい、1850-1906)は、美濃国恵那郡明智村、いまの岐阜県恵那市に生まれた洋画家。1878年、パリ万国博覧会事務局の雇いとして渡仏し、そのままエコール・デ・ボザールに入ってジャン=レオン・ジェロームに就いた。アカデミスムの厳密な人体描写と物語画の構成を、日本人としてほぼ最初期に本場で身につけた画家である。
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