
ウィリアム・ホルマン・ハント
William Holman Hunt
9 Artworks
ロンドンの商店主の家に生まれ、王立美術院附属学校で学ぶうち、当時の主流だったジョシュア・レノルズ流の甘い理想化に耐えられなくなっていった青年だった。1848年、同窓のジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとともに「ラファエル前派兄弟団」を結成する。ラファエロ以前の初期ルネサンス絵画に立ち返り、自然をひとつの葉、一本の毛まで偽りなく描き切ろうという誓いだった。批評家ジョン・ラスキンの擁護もあって運動は世に認められていく。
ハントの筆はその中でも群を抜いて執拗だった。われらの英国の海岸(迷える羊)の羊毛の一本一本、雇われ羊飼いの草いきれまで漂ってきそうな緻密さは、写実への信仰そのものである。宗教画では単なる図像の踏襲を拒み、聖書の舞台を自分の目で確かめようと中東へ渡った。死海のほとりで実際にヤギを連れて描いた贖罪の山羊は、荒野に立つ一匹の獣に人類の罪を負わせるという着想を、絵空事でなく現地の光と塩の地表で成立させている。夜に灯りを掲げてドアを叩くキリストを描いた世の光は、複数のヴァージョンが英国中の教会や大聖堂を巡回し、19世紀後半のイギリスでもっとも複製された宗教画のひとつになった。
私生活でも信念を貫く人だった。最初の妻ファニー・ウォーが出産で急逝した後、その妹エディスに求婚するが、当時の英国法では亡妻の姉妹との結婚は禁じられていたため、二人はスイスまで渡って式を挙げている。晩年には回想録『ラファエル前派とラファエル前派兄弟団』をまとめ、運動の生き証人として自らの半生を語り残した。1910年に没し、セント・ポール大聖堂に葬られている。
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